中華人民共和国の(政治家) 王 毅王 毅 | |
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2023 | |
生年月日 | (1953年)(10月19日)(70歳) |
出生地 | 中華人民共和国 (北京市) |
出身校 | (北京第二外国語学院)(アジア・アフリカ語学部) (外交学院)(国際関係専攻博士課程) |
所属政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 銭韋 |
子女 | 1人 |
中国共産党 中央外事工領導弁公室主任 | |
在任期間 | 2023年(1月1日) - |
党総書記 | (習近平) |
中華人民共和国 第13代(外交部長) | |
内閣 | |
在任期間 | 2023年(7月25日) - |
(最高指導者) | 習近平 |
中華人民共和国 外交担当(国務委員) | |
内閣 | (李克強内閣) 李強内閣 |
在任期間 | (2018年)(3月19日) - 2023年(3月12日) |
(最高指導者) | (習近平) |
中華人民共和国 第11代外交部長 | |
内閣 | (李克強内閣) |
在任期間 | (2013年)(3月16日) - (2022年)(12月30日) |
(最高指導者) | (習近平) |
王 毅 | |
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職業: | 政治家・外交官 |
各種表記 | |
(繁体字): | 王 毅 |
(簡体字): | 王 毅 |
(拼音): | Wáng Yì |
和名表記: | おう き |
発音転記: | ワン イー |
王 毅(おう き、(拼音): 、ワン・イー、(1953年)(10月19日) - )は、中華人民共和国の(政治家)、(外交官)。(中国共産党中央政治局)委員、党中央外事工作委員会弁公室主任、第13代(外交部長)を務めている。中国の外交統括のトップとみられる。
第11代外交部長、(国務院台湾事務弁公室)主任、外交部党委書記・(副部長)、(駐日中国大使)、第17期・18期・19期・20期(党中央委員)などを歴任した。(立命館大学)第35号名誉博士である。(日本語)・(英語)に堪能で、日本では日本人相手の会見・講演をしばしば日本語で行う。
略歴]
1953年10月19日に(北京)に誕生する。北京の庶民の出身である。(1969年)に高校を卒業するが、その後(文化大革命)で(黒龍江省)の農村に8年間(下放)される。(1977年)12月に北京に戻り、(北京第二外国語大学)アジア・アフリカ語学部に入学し、(日本語)を学んだ。(1982年)2月に卒業した後に(外交部)に入省。(1983年)の(胡耀邦)総書記の訪日の際に執筆したスピーチが評価される。
(1989年)9月に駐日中国大使館に参事官として配属され、(1994年)に帰国してアジア局副局長、翌(1995年)に局長に昇進した。(1997年)に(ジョージタウン大学)客員研究員となった。
(1998年)に部長助理((外務大臣)次官補)を歴任した。助理時代には(旧日本軍遺棄化学兵器)に関する日本との交渉に当たり、(1999年)(7月30日)に両国の覚書に調印した。同年9月から(外交学院)で国際関係を専攻し、博士号を取得した。
(2001年)3月からアジア担当副部長((外務次官))。(2003年)4月のアメリカ合衆国・中国・北朝鮮の3者協議では中国首席代表となり、同年(8月27日)から3者協議に日本とロシアを加えて北京で開催された第1回6カ国協議のホストとして(北朝鮮核問題)に従事し、(武大偉)に交代する第4回会合まで議長役を務める。
2004年9月から2007年9月21日まで(駐日中国大使)を務めた。なおこの間、(李肇星)の後任の外交部長となる可能性が取り沙汰されたこともあるが、実現しなかった。帰国後は外交部の政策研究担当の常務副部長に就任し、2007年10月には党中央委員に選出された(2012年11月、2017年10月中央委員再選)。
2008年6月3日に中国共産党中央台湾工作弁公室と(国務院台湾事務弁公室)の主任に任命された。中国は(台湾)を国内と見なすために同ポストは地方トップが就任するのが慣例で、この時も(福建省)の盧展工党委員会書記の起用が考えられていた。外交官出身で日本通の王毅が選ばれた背景には、同年5月に台湾での(親中)的な(国民党)の(馬英九)政権の成立で対話が再開したという見方がある一方、(日台関係)を牽制するのが目的という見方もある。中台交流の積極的促進に努め、台湾の(国民党)政権に配慮してか(蔣介石)の愛国的な一面を描いた2009年の建国60周年記念映画『(建国大業)』の(DVD)を王毅から渡されて視聴した蔣介石の孫で国民党副主席でもある(蔣孝厳)は「客観的な歴史評価」と称賛している。
2013年3月16日に(李克強内閣)で第11代(外交部長)に就任した。(2018年)3月19日に外交担当国務委員に就任し、その上で外交部長も兼任となった。
(中国共産党第二十回全国代表大会)で(中国共産党中央政治局)委員に選ばれる。 2022年12月30日に(秦剛)駐米大使が外交部長に起用され、国務委員との兼任が解かれた。
中国外交部は2023年1月1日、先に外交部長職を解かれた王が楊潔篪の後任として共産党中央外事工作委員会弁公室主任に就任したことを明らかにした。しかし7月25日全人代常委会で(秦剛)外相が解任のため、外相に復帰。
外交]
中東]
2015年7月に(イランの核開発問題)における6カ国協議での核合意妥結に従事した。
2023年3月に北京でイランのアリ・シャムハニ最高安全保障委員会事務局長、(サウジアラビア)のムサーイド・ビン・ムハンマド・アル・アイバーン国務大臣兼国家安全保障顧問と会談し、2016年以来断交していた両国の国交正常化の合意を仲介した。
北朝鮮]
2018年5月2日に外交部長として11年ぶりに北朝鮮を訪問して、北朝鮮の李容浩外相・(金正恩)委員長と会談し、(朝鮮半島)の非核化と平和体制構築と改革開放を支援すると述べた。
日本]
2016年4月30日、訪中した岸田文雄外務大臣と4時間以上に会談した。2017年2月17日、G20外相会合で岸田外務大臣と約40分強会談した。
2018年4月15日に9年ぶりの日中両国の外務大臣の相互往来で訪日し、16日の第4回(日中経済ハイレベル対話)で日本の(河野太郎)(外務大臣)とともに議長を務めた。
(2019年)10月26日から27日まで、(北京市)で開催された(言論NPO)と中国国際出版集団の共催による「第15回東京-北京フォーラム」へ出席し、日本の(福田康夫)元首相と(明石康)(国立京都国際会館)理事長と共に挨拶・講演を行った。同年11月22日から23日まで(名古屋市)で開催された(G20)外務大臣会合に出席するため訪日し、同月24日から25日にかけて東京で福田康夫元首相・(自民党)の(二階俊博)幹事長・(河野洋平)日本国際貿易促進協会会長と会談した。この訪日中に(愛知県)の大村秀章知事・(静岡県)の(川勝平太)知事とも会見を行っている。
2020年11月24日、訪日(茂木敏充)外務大臣と会談(約1時間30分)及び夕食会(約1時間10分)を行っい、翌25日に(二階俊博)幹事長らと会食した。
2022年4月、北京で訪中した(林芳正)外務大臣と会談し、夕食会を主催した。
韓国]
(日中韓首脳会談)開催前の同年12月4日に韓国の(ソウル)を訪問し、(康京和)外交部長官、翌5日に(文在寅)大統領と(高度防衛ミサイル)(THAAD)配備などについて会談を行った。
ロシア]
中国外交部は2月22日、外交トップの王毅・共産党中央政治局委員がロシア・モスクワでウラジーミル・プーチン大統領と会談したと発表した。会談は現地時間22日に行われた。
アメリカ合衆国]
(2021年)(3月18日)に楊潔篪政治局員と共に(アラスカ州)(アンカレッジ)で行われたハイレベル戦略対話に出席した。(アントニー・ブリンケン)(国務長官)、(ジェイク・サリバン)(国家安全保障問題担当大統領補佐官)とジョー・バイデン政権発足後初の対話を行った(交渉内容についてはccccccccccccccccccccc 楊潔篪#2021年3月のブリンケン国務長官との会談の項を参照のこと)。
ターリバーン]
2021年7月、(アフガニスタン)の(テロ組織)、(ターリバーン)の代表団が訪中し、王毅と会談。王毅と会談した組織創設者の1人である(アブドゥル・ガニ・バラダル)は「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」と述べた。
また、ターリバーンとの関係を深め、テロ組織との決別を要求している。
太平洋島嶼国]
(2021年)に(中国・太平洋島嶼国外相会議)を立ち上げ、(キリバス)、(フィジー)、(トンガ)、(ソロモン諸島)、(サモア)など太平洋島嶼国との関係を強化した。
主な発言]
この節はなが全く示されていないか、不十分です。(2016年7月) |
- 2004年12月16日「もしもそういうことがあれば理解できないし、受け入れることはできない」―日本政府が、台湾の(李登輝)前総統への観光(ビザ)発給方針を固めたことに対して。
- 2004年12月21日「トラブルメーカーが戦争メーカーになるかもしれない」―日本政府の李登輝前台湾総統への観光ビザ発給に関して。
- 2005年4月27日「かつて(政府)の顔である首相、(官房長官)、(外務大臣)の3人は在任中に参拝しないという(紳士協定)があった」―1985年の(中曽根康弘)元首相の(公式参拝)後に取り交わされたと主張した。後に個人的な友人であった(胡耀邦)(中国共産党総書記)を窮地に追い込まないため(中曽根は「政争の具に使われないため」と表現したといわれる)、在任中は参拝しないことになったと明らかになる。中曽根自身は「(大使)の記憶違い」と否定している。
- 2005年5月11日「戦後日本の平和主義は中国の教科書にも書いてあるし、中国人も知っている」―中国の歴史教科書に戦後の日本についてほとんど記述がないと指摘されて。
- 2005年11月24日「中国の立場ですね、継続性のあるもので、変わっておりません。1985年、このことですね、A級戦犯が祀られていることが公になってから、われわれも反対の立場を貫いてきております」―「A級戦犯」合祀が公にされたのは1979年。1980年には訪中した中曽根元首相に人民解放軍副参謀総長・伍修権は日本はソ連に対抗するため軍事力を強化する必要があると強調し、軍事予算をGDP比1パーセントにとどめず2パーセントに倍増せよと要求している。1985年に初めて中国が靖国参拝に抗議する以前、日本の歴代首相は複数回靖国神社を公式参拝している。
- 2005年11月24日「我々はいわゆるB級、C級戦犯ですね、全部釈放し、日本に帰らせたのです」―中国各地で(BC級戦犯)として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にのぼる。
- 2005年11月24日「(反日教育)はありません」
- 2005年11月24日「もうすでに交渉を通じてお互いに認め合うラインではないのです」―(東シナ海)の日中中間線に関して。過去30年ほど(国際司法裁判所)における海洋上の境界線はすべて中間線を基本としている。中国のみが中間線を認めず、自国の(大陸棚)と主張し、(国際法)の禁ずる日本の(排他的経済水域)での資源調査を行っている。
- 2005年11月3日「中国の軍事予算の審議・承認は(全国人民代表大会)に委ねられており、(軍事予算は)公開された透明なものだ」―(防衛大学校)で日中関係について講演した際に言及。
- 2006年1月29日「それは本当に噂だ」―前年末から秘密裏に帰国し、帰国中に日中関係の冷え込みから対日政策の見直しについて問われて。外交筋では重病・更迭などが噂されていた。
- 2006年8月3日「隣人の嫌がることを控えることが東洋人の伝統」―「第2回 東京-北京フォーラム」での全体会議の挨拶にて、(安倍晋三)内閣官房長官の同挨拶の直後の発言。8月15日の終戦の日の(小泉純一郎)首相の(靖国神社)への参拝を牽制。
- 2008年6月23日「中国と台湾の平和統一は日本にとっても利益になる。こうした共通認識が日本国内でできていないことは残念だ」「日本側には(シーレーン)や安全保障などの面で困るという判断があるかもしれないが、大局に立って見守ってほしい」―(尖閣諸島)沖で日本の巡視船と接触した台湾の遊漁船が沈没した事故に中台で対日抗議の世論が沸騰した後、訪中した日本の国会議員との北京市内で会談での発言。
- 2015年2月23日、国際連合安全保障理事会の「国際平和と安全の維持」をテーマにした公開討論で議長を務め、「今年は反ファシズム戦争の勝利と国連創設から70周年」「中国は反ファシズムの戦いで多大な犠牲を出したが、重要な役割を果たし、安保理が世界の平和と安全を維持するという現在の国際関係を支配している基本原則が出来上がるのに歴史的な貢献をした」と主張した上で、(安倍政権)の日本を名指しこそしなかったが「こうした点を認めることを躊躇する国がある」「いまだに真実を認めたがらず、過去の侵略の犯罪をごまかそうとする者がいる」と述べた。
- 2016年6月1日 (カナダ)のステファン・ディオン外相との共同記者会見場において、「人権問題や(南シナ海)をめぐる懸念がある中、なぜ両国関係を強化するのか」とディオン外相へ尋ねた記者に対して、「あなたの質問は中国に対する偏見と傲慢さに満ちたものだ」「中国の人権状況を最も分かっているのは中国人だ。根拠の無い非難は拒否する」「中国の憲法に人権保護が書かれていることを知っているのか」などと、質問した記者を睨みつけて主張した。カナダの(ジャスティン・トルドー)首相は「報道の自由は極めて重要。厳しい質問をするのがメディアの仕事だ」と反論した。記者への不当な扱いについて、カナダ政府として王毅と駐カナダ中国大使に抗議した。
- 2020年11月、来日中の王は日中外相会談後の共同記者会見にて、沖縄県の(尖閣諸島)をめぐり、中国の(領有権)を一方的に主張した。
- 2022年7月、日中韓の国際フォーラムにて、外交の世界において(タブー)とされる(人種)や(民族)などを外見的特徴から差別論に論じる発言をし、欧米は「(レイシズム)((人種差別))」と強烈に反応した。
日本との関係]
- 日本語が堪能な王は(2007年)の帰任の際には、「多くの日本の友人たちと別れるのがつらい」などと話していた。
- 駐在時には日本人と(ゴルフ)に興じるのが大好きで、ゴルフを通じて日本人でも人脈を築いていた王大使には「ゴルフ大使」という異名があった。(日本人)から貰った(ゴルフクラブ)をよく(自慢)していたと言う。なお、(習近平)はゴルフ嫌いで知られており、「ゴルフ大使」と呼ばれていた話を(安倍晋三)が習に会談で披露したところ、王は(日本語)で打ち消しに必死だったといわれる。
- 趣味は(テニス)。大使時代には中国大使館の正門を入った右奥のテニスコートで、在京外交団などとよくテニスを楽しんだ。
- 大使時代は、常に祖国の中国共産党中央の目を気にし、(国営放送)で、(中華人民共和国国務院)直属の(テレビ局)である(中国中央電視台)のカメラの前では(反日)姿勢をとってはいたが、彼ら本国の(報道機関)がいない場では
和気藹々 としていたとされ、根は(親日家)として知られる。 - (安倍晋三銃撃事件)が発生した当日には、訪問先の(インドネシア)・(バリ島)にて、(日本経済新聞)の取材に日本語で応じた。「私が(駐日)大使時代にお世話になった。日中関係の改善で協力できた」と話したほか、「いま(安倍は)どういう状態か」と日本人記者に問いかけ身を案じたり、「(安倍は)中国にも来てくれた」と振り返る場面もあった。
家族]
- 岳父 - 銭嘉東((周恩来)の元外事秘書長、元国連代表部大使)
- 岳母 - 陳燕(元外務省アジア局次長)
- 妻 - 銭韋
逸話]
- 中国において(政治家)の(子息)などが行くことで知られる(北京外国語学院)ではなく、「卒業しても(旅行会社)にて日本人観光客相手の旅行(ガイド)くらいにしかなれない」と言われている(北京第二外国語学院)を卒業。しかしながら(周恩来)の外事秘書長であった銭嘉東の娘に見初められ結婚したことにより特別に外交部に潜り込むことに成功し、(コネ)と分をわきまえた振る舞いにて(出世)を勝ち取ってきたとされる。
- 王毅の人生哲学は、「人間は肩書きがすべて」とされる。
- これまで王毅は「アメリカを知らない」、「英語ができない」とマイナスのレッテルが貼られてきたが、米中新冷戦を迎えた現在では、逆に「アメリカを知る必要はない」、「アメリカのスパイでないことの証だ」とプラスに捉えられるようになってきたとされる。
趣味]
- (ゴルフ)
- (テニス)
関連項目]
- (北京オリンピックを支援する議員の会)
脚注]
注釈]
出典]
- ^ a b パーマー (2023-8-8). “新任外相の秦剛はなぜ解任されたのか”. (ニューズウィーク)日本版(2023年8月8日号). CCCメディアハウス. p. 33.
- ^ “中国共産党、王毅氏を外交統括のトップに任命”. Bloomberg.com. 2023年4月6日閲覧。
- ^ a b c d 尖閣問題で“強硬発言”の王毅外相、根は「親日家」 過去に駐日大使、大学は日本語学科 | デイリー新潮
- ^ 共同通信 2008年6月3日「」
- ^ 産経新聞 2008年5月31日「」
- ^ “中台文化交流の一層の強化に向けフォーラム開催-湖南”. (エキサイト). (2009年7月11日) 2017年10月30日閲覧。
- ^ “蒋孝严盛赞《建国大业》 称中共对历史评价客观”. (人民網). (2009年11月19日) 2017年10月30日閲覧。
- ^ 中国の王毅外相、国務委員に昇格Reuters
- ^ “中共二十届一中全会公报-新华网”. www.news.cn. 2022年10月23日閲覧。
- ^ “中国外相に駐米大使起用 秦剛氏、対米関係重視か”. 産経新聞. (2022年12月30日) 2022年12月31日閲覧。
- ^ “王毅氏が中国外交トップに、楊潔篪氏の後任 外務省が新たな肩書掲載”. 産経新聞. (2023年1月1日) 2023年1月2日閲覧。
- ^ “中国 秦剛外相を解任、後任は王毅氏”. 時事通信. (2023年7月25日) 2023年7月25日閲覧。
- ^ “王毅部長「イラン核協議の最終合意に中国は独特な建設的役割を発揮」”. (人民網). (2015年7月15日) 2017年2月28日閲覧。
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- ^ “金正恩に会った王毅「中国は北朝鮮の経済・非核化・安保を全力支持」”. (ハンギョレ). (2018年5月4日) 2018年5月5日閲覧。
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- ^ 第四回日中ハイレベル経済対話
- ^ “「第15回東京-北京フォーラム」の開催(2019年10月26、27日)”. (在中国日本大使館). (令和元年10月28日掲載) 2019年12月28日閲覧。
- ^ 王毅氏,東京で福田康夫元首相と会見、中華人民共和国駐日本国大使館、2019-11-24
- ^ 王毅外交部長、愛知県知事と会見、(中国国際放送局)、2019-11-23掲載
- ^ 地方交流の重要性確認 川勝知事、中国王外相と会談、(静岡新聞)、2019-11-25掲載
- ^ “日中外相会談及びワーキング・ディナー”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023年4月6日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年11月25日). “自民・二階幹事長、中国の王毅外相と会食 懸案解決に向け協力確認”. 産経ニュース. 2023年4月6日閲覧。
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- ^ “中国外交トップの王毅氏、ロシアのプーチン大統領と会談、中ロ関係の安定強調(中国、ロシア) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース”. ジェトロ. 2023年4月6日閲覧。
- ^ “楊潔篪氏と王毅氏、中国の立場表明 中米ハイレベル戦略対話”. 新華社 日本語版 (2021年3月19日). 2021年3月19日閲覧。
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- ^ “中国外相、タリバン幹部と会談 テロ組織との決別要請”. (日本経済新聞). (2021年10月26日) 2021年10月28日閲覧。
- ^ “第1回「中国太平洋等諸国外相会議」オンライン形式で開催=外交部”. CRJ Online (2021年10月22日). 2022年6月8日閲覧。
- ^ 産経新聞 2008年6月24日「」
- ^ 毎日新聞 2015年2月24日「安保理公開討論:中国外相「侵略ごまかそうとする者いる」
- ^ 時事通信社 2016年6月1日「」
- ^ 美根慶樹「中国・王毅外相の「強硬発言」は尋常ではない 権力中枢で深刻な緊張が続いている可能性」(東洋経済ONLINE 2016/06/08)
- ^ 中国外相、あきれた暴言連発 共同記者会見で「日本の漁船が尖閣に侵入」 石平氏「ナメられている。王氏に即刻帰国促すべき」 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
- ^ a b c 王毅“レイシズム発言”の裏に習近平「脱・戦狼外交」の混迷 | 週刊文春 電子版
- ^ a b 王毅外相 ゴルフ大使から反日隊長に変貌した理由|日刊ゲンダイDIGITAL
- ^ 習主席の来日問題先延ばしに好都合 (2/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
- ^ a b 王毅・中国外相の「2面性」!駐日大使時代に明かした意外な本音とは?=透ける中国の「特殊事情」 (2016年8月25日) - エキサイトニュース(2/2)
- ^ 王毅外相、安倍氏の容体気遣う 「日中関係改善で協力」(2022年7月8日) - 日本経済新聞 電子版
- ^ “”. baike.baidu.com. baidu. 2023年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月14日閲覧。
- ^ a b c 2023年、中華圏「3人のキーパーソン」…北京、台湾、香港の変化は「新たな日中関係」をどう動かすか(近藤 大介) | 現代ビジネス | 講談社(2/6)
外部リンク]
- 王毅・駐日中国大使との一問一答 - 2004年10日18日
中華人民共和国
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