- 朝鮮民主主義人民共和国
- 조선민주주의인민공화국
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((国旗)) ((国章)) - 国の標語:(強盛大国(강성대국))
- (国歌):(愛国歌(애국가))
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(公用語) (朝鮮語) (首都) (平壌市) 最大の都市 平壌市 - 政府
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(朝鮮労働党総書記) (金正恩) 金正恩 (内閣総理) (金徳訓) (崔竜海) 最高人民会議議長 (中央裁判所所長) (崔根英) - (面積)
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総計 (120,540)km2((97位)) 水面積率 0.11% - (人口)
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総計((2020年)) (2577万9000)[1]人((54位)) (人口密度) 214.1人/km2 - (GDP)(自国通貨表示)
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合計((xxxx年)) xxx,xxx(北朝鮮ウォン)(₩) - GDP((MER))
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合計((2018年)) 174億8700万ドル((115位)) 1人あたり 1,300ドル - GDP((PPP))
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合計((2012年)) 400億ドル((177位)) 1人あたり 1,800ドル - 建国
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(日本より独立) 1945年8月15日 (ソビエト民政庁)設置 1945年10月3日 (北朝鮮臨時人民委員会)樹立(ソビエト民政庁解体) 1946年2月8日 朝鮮民主主義人民共和国建国 1948年9月9日
(通貨) (北朝鮮ウォン)(₩)((KPW)) (時間帯) (UTC)+9 ((PYT))((DST):なし) (ISO 3166-1) (ccTLD) (.kp) (国際電話番号) -
朝鮮民主主義人民共和国 | |
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各種表記 | |
(チョソングル): | 조선민주주의인민공화국 |
(漢字): | 朝鮮民主主義人民共和國 |
(発音): | ツォーソン ミンジュジュウィ インミン コンホァグㇰ |
(日本語)読み: | ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく |
(RR式): | Joseon Minjujuui Inmin Gonghwaguk |
(MR式): | Chosŏn Minjujuŭi Inmin Konghwaguk |
(英語)表記: | North Korea, Democratic People's Republic of Korea |
(共産主義) |
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(社会主義) |
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朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく、(朝): 조선민주주의인민공화국、(英): Democratic People's Republic of Korea, DPRK)、通称北朝鮮(きたちょうせん、(英): North Korea)は、(東アジア)に位置する(社会主義共和制国家)。(首都)は(平壌市)。
(1953年)7月に(朝鮮戦争休戦協定)が締結されて以来、朝鮮半島は(38度線)を境に北側の北朝鮮と南側の大韓民国 (以下、韓国)に分断され、(ドイツ再統一)以後は双方が(国連)に加盟している国家では唯一の(冷戦)(分断国家)となった。(朝鮮労働党)による(一党独裁)体制下にあり、(軍事境界線)を挟み韓国と、(豆満江)や(鴨緑江)を挟んで中華人民共和国及びロシアと接している。
概要]
政治体制]
朝鮮労働党を(執権政党)とする(ヘゲモニー政党制)であり、(最高指導者)は(金日成)、(金正日)、(金正恩)と親から子への(世襲)が続いている。(冷戦)期に(中ソ対立)の狭間で(非同盟運動)を推進し、「自主、自立、自衛」を掲げて(主体思想)を唱えた。以来「(マルクス・レーニン主義)を創造的に朝鮮に適用した」とする主体思想を党と国の「指導的指針」と定め、その中で「主体的な革命観を立てるためには、党と首領の指導が必要」として首領の指導への忠実性を人民に要求し、極端な(個人崇拝)と(独裁政治)が現在に至るまで続いている。
北朝鮮の政治体制について、(百科事典マイペディア)は「『共和国』とは名ばかりの3代にわたる世襲独裁体制」と評価する。日本の(防衛省)の(シンクタンク)、(防衛研究所)は(2017年)に「独裁化と粛清を通じた(恐怖政治)が続いている」と分析している。(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)は「世界で最も抑圧的な国の1つ」「あらゆる基本的な自由を大幅に削減し、政治的反対、独立した(メディア)、(市民社会)、(労働組合)を禁止している」「秘密裏に(強制収容所)を運営し、そこでは政府への反対者と見なされた人々が拷問、飢餓、強制労働を強いられている」と分析している。(エコノミスト)誌傘下の研究所(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット)による(民主主義指数)は世界最下位(2019年度)、(国境なき記者団)による(世界報道自由度ランキング)も世界最下位を記録している(2020年度)。
外交]
外交面では常に対外的攻撃姿勢を貫き、(ラングーン事件)や(大韓航空機爆破事件)、(近隣諸国民拉致)など(国際的テロリズム)事件を多数引き起こし、また(20世紀)末から(核実験やミサイル発射)を断続的に実施しているため、国際社会から憂慮されている。外貨獲得のためには手段を選ばず、(通貨偽造)や(麻薬)製造などの犯罪行為に手を染め、外国への(サイバーテロ)にも注力し、外国銀行への不正アクセスによって資金を盗んでいる。他国からは(ならずもの国家)と見做されており、厳しい制裁が行われているにもかかわらず、国際社会に対する挑発的行動や犯罪行為の改善は全く見られない。アメリカ合衆国からは(テロ支援国家)に指定されている。
東西冷戦下で誕生した(分断国家)であり、(朝鮮戦争)において(朝鮮人民軍)、(中国人民志願軍)両軍と(アメリカ軍)を中心とした(国連軍)の間で(朝鮮戦争休戦協定)が結ばれて以来、南北は現在に至るまで「(休戦)」中であるが、軍事的対立や小規模な衝突はその後も断続的に発生している。他方(1972年)の(南北共同声明)を画期として南北対話の流れも断続的に発生している。(1991年)には(国連)に南北同時加盟した。
韓国や日本、アメリカ、(フランス)などは北朝鮮を(国家承認)していないが、中華人民共和国、ロシア、(イギリス)、(ドイツ)、(イタリア)、(インドネシア)、(インド)、(ベトナム)、(キューバ)などは国家承認しており(国交)がある。
軍事]
軍事面では、世界最長の(兵役)(男性は8年(かつては13年)、女性は5年(かつては8年))を人民に課すことで100万を超える軍隊を維持し、韓国内の米韓軍(60万人弱)を兵力で圧倒しているが、兵器の近代化の遅れが目立ち、それを補完するために(核兵器)を含めた大量破壊兵器とミサイル開発・配備を進めている。
経済]
経済面では一人当たりの(GDP)において、北朝鮮と韓国は(1970年代)半ばまでほぼ同水準で、稀に北が上回ることもあったが、(1970年代)後半に非同盟運動の分裂と対外債務の膨張で、(北朝鮮の経済)の停滞が目立つようになり、(1990年代)以降はさらに低落。この間、韓国側が急速な経済成長を遂げたため、南北の所得格差が大きく開いた。(2016年)時において、南北間には20倍以上の所得格差があると見られる。
医療]
(病院)はすべて国が管理し、医療費は無料である。しかし、(1990年代)以降は経済の疲弊により病院には(薬)が入らなくなった。薬や栄養剤、医療器具はおろか、電力の供給も不足しているため、多くの人々が命を落としているとされている。また、平壌には産科もあるが、地方では出産も自宅で行われるため、死亡率が高い。
(新型コロナウイルス感染症(COVID-19))の世界的流行にあたっては(情報統制)もあり、政権内部は2022年に入るまで感染者の存在を否定し続けてきたが、2022年5月12日に感染者の発生を公式に認め、(朝鮮中央通信)によれば同月15日までに171万5950人余りの発熱者と62人の死者が出たことが伝えられた。新型コロナウイルス対策として国境の封鎖などを取り続けている一方、脆弱な医療体制から有効な感染抑制策が打ち出せず感染者の増大を続けており、(労働新聞)で軽症者にはショウガやハニーサックル((スイカズラ))の茶、ヤナギの葉の飲み物の飲用など(民間療法)を推奨する記事も掲載されている。また、国際的なワクチン供給プログラムである「(COVAX)」による、中国シノヴァク製のワクチン300万本の供給申し出を拒絶するなど、国際的な医療援助を受け入れていないことも明らかになっている。その後、8月になり金正恩がで「防疫戦争」の終息を宣言し、コロナとの戦いに勝利したことを一方的に宣言している。
人口]
人口は、2020年時点で約2,578万人である。現在は住民の絶対多数が朝鮮民族であるが、(よど号ハイジャック事件)で亡命した日本人などの非常に少数の外国人居住者も存在する。
地理]
地理としては、北部は(豆満江)を挟んで中華人民共和国及びロシア連邦と、(鴨緑江)を挟んで中華人民共和国と接し、・(白頭山脈)・(蓋馬高原)など北東部が高い。(白頭山)一帯は金日成の「(抗日革命運動)」の「聖地」にされており、その戦跡が多い。(狼林山脈)や(太白山脈)の支脈が南西方向に並走して西海岸に至る。西海岸に通じる河川には(大同江)・(清川江)を含み、流域には(準平原)と(沖積平野)が広がっている。東海岸側の河川は短くて平野も規模が小さい。南は(東朝鮮湾)の湾奥に達し、その南にある(太白山脈)も一部が領域下にある。南側は軍事境界線(38度線)を挟んで韓国に接しているが、北朝鮮の(憲法)上は、韓国の統治領域を含めた朝鮮半島全体を(領土)と規定している。気候は寒暑の差が大きく、月平均気温で南部(平壌)は1月には-8℃、7月には24℃。北部(中江)で1月には-21℃、7月には22℃になる。年降水量は800~1,500ミリメートルであり、うち6割は6月から8月にかけて降る。
行政区画は1(直轄市)・3(特別市)・9(道)に分かれ、首都は直轄市の(平壌)である。
国名]
正式国名]
朝鮮語による公式な名称は、조선민주주의인민공화국( 聞く チョソン ミンジュジュウィ インミン コンファグッ)。(漢字)表記は「朝鮮民主主義人民共和國」だが、1948年9月9日の建国から漢字を廃止していて、漢字表記はあくまで(外国語)の扱いである。そのため地名や人名の漢字表記も外国語扱いであり、公式の名簿での漢字は存在しない。
「(朝鮮)」は古代においては現在の(遼東半島)付近を指す地名であったが、(衛氏朝鮮)の成立以降は朝鮮半島の一部を指す言葉にもなった。(紀元前108年)に(前漢)が衛氏朝鮮を滅ぼした後に設置された(楽浪郡)の都(現在の平壌)はと呼ばれている。その後長らく「朝鮮」という言葉は用いられなかったが、1392年に成立した(李氏朝鮮)が国号として用いて以降は半島全体の地域的名称や、そこを統治する国家を示す言葉として用いられるようになった。
国際的な名称]
公称の(英語)表記は「Democratic People's Republic of Korea」、略称は「D.P.R. Korea」、あるいは「DPRK」だが、一般的には「North Korea」と表記される。(フランス語)での表記は「République populaire démocratique de Corée」。(ロシア語)では「Корейская Народно-Демократическая Республика」。
日本における呼称]
(日本政府)は(日韓基本条約)第3条で韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認めているため、北朝鮮についてはこの取り決めに基づき(国家の承認)を行っておらず、この条項を韓国政府の同意を得て改訂しない限り国家承認はできない。
上記の理由から北朝鮮を(国家承認)していない日本の(行政機関)((外務省)など)や(マスメディア)は、同国を北朝鮮(きたちょうせん)と呼んでいる。また、(NHKワールド・ラジオ日本)における朝鮮語放送においても、同様に北朝鮮(북조선、プクチョソン)という呼称を採用している。
これに対し、北朝鮮政府や(在日本朝鮮人総聯合会)(朝鮮総連)は、同国を朝鮮唯一の正統政府とする立場から北朝鮮と呼ばれることを嫌い、「朝鮮」や「共和国」といった表記を主張して(報道機関)に抗議や(デモ活動)を繰り返した。しかし、これらの表記は日本の報道機関に受け入れられず、最終的に北朝鮮と呼称する場合は初めに一度だけ正式国名を併称するという呼称法が確立した。ただし、2002年の(日朝首脳会談)で(金正日)が(日本人拉致)を認めて以降は、そうした呼称方式も一斉に報道から姿を消した。
韓国メディアの日本語版においては、韓国における北朝鮮の呼称である「北韓」が使われる場合もある。
韓国における呼称]
韓国では、一般的に北韓(북한、プッカン)と呼称している。さらに省略して、単に北と呼ばれることもある。ハングル中心の韓国では、漢字の使用頻度は高くないが、報道においては、とりわけ北朝鮮を指す一文字として、ハングル表記の「북、プク」ではなく、漢字の「北」が用いられる。また、軍事境界線に接する(京畿道)(坡州市)・(漣川郡)、(江原特別自治道)(鉄原郡)・(楊口郡)・(高城郡)などの地域では「以北」(이북、イブク)ないしは「以北の地」(이북 땅、イブッ・タン)などとも呼ばれる。
韓国は、建国以来自国や自民族の自称として「韓」を用いており、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮語を「韓国語」と呼ぶなど、原則的に「朝鮮」という表記を用いない傾向がある。また、「朝鮮の唯一の合法的な政府」を自任する韓国政府は、北朝鮮を国家として承認していないため、「朝鮮」は北朝鮮を指す言葉としては用いられない。韓国で「朝鮮」というときは李氏朝鮮の事を指す。
1980年代までは、蔑称として「北傀」(북괴、プッケ、(ソビエト連邦)の(傀儡政権)という意味)が公の場でも使われていた。だが、(第六共和国)成立後に南北の融和が進んだこと(を参照)や、北朝鮮の政情と合致しなくなったことから、一部を除き、現在ではほぼ使われていない。
その他漢字文化圏における呼称]
(漢字文化圏)の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」で共通しているが、地域により略称が異なる。(中国大陸)、(マレーシア)、(シンガポール)における漢字表記は「朝鮮」((拼音): )である。ベトナムでは漢字が廃止されて久しいが、「朝鮮」のに基づき「Triều Tiên」と呼称される。(香港)、(マカオ)及び(台湾)では一般的に「北韓」((拼音): (台湾) あるいはbak1 hon4 (香港・マカオ) )が用いられる。その他、中国語メディアでは台湾(FTV)が「北朝鮮」呼称を採用している。
歴史]
(朝鮮の歴史) | ||||||||||
(考古学) | (櫛目文土器時代) 8000 BC-1500 BC (無文土器時代) 1500 BC-300 BC | |||||||||
(伝説) | (檀君朝鮮) | |||||||||
(古朝鮮) | (箕子朝鮮) | |||||||||
(燕) | ||||||||||
(辰国) | (衛氏朝鮮) | |||||||||
(原三国) | (辰韓) | (弁韓) | (漢四郡) | |||||||
(馬韓) | (帯方郡) | (楽浪郡) | 濊 貊 | 沃 沮 | ||||||
(三国) | (伽耶) 42- 562 | (百済) | (高句麗) | |||||||
(新羅) | ||||||||||
(南北国) | (唐)(熊津都督府)・(安東都護府) | |||||||||
(統一新羅) (鶏林州都督府) 676-892 | (安東都護府) 668-756 | (渤海) 698 -926 | ||||||||
(後三国) | (新羅) -935 | 後 百済 892 -936 | (後高句麗) 901 -918 | (遼) | (女真) | |||||
統一 王朝 | (高麗) 918- | (金) | ||||||||
(元)(遼陽行省) ((東寧)・(双城)・(耽羅)) | ||||||||||
(元朝) | ||||||||||
(高麗) 1356-1392 | ||||||||||
(李氏朝鮮) 1392-1897 | ||||||||||
(大韓帝国) 1897-1910 | ||||||||||
近代 | (日本統治時代の朝鮮) 1910-1945 | |||||||||
現代 | (朝鮮人民共和国) 1945 (連合軍軍政期) 1945-1948 | |||||||||
(アメリカ占領区) | (ソビエト占領区) | |||||||||
(北朝鮮人民委員会) | ||||||||||
大韓民国 1948- | 朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||||
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建国以前]
前近代における朝鮮の(王朝)の特徴は、各王朝の存続期間が非常に長いことである。実態が未だ不明確な(古朝鮮)を除き、(新羅)、(高麗)、(李氏朝鮮)((大韓帝国))といずれの統一王朝も400年以上存続している。
朝鮮半島における国家としては、伝説的には(檀君)が建国したとされる(檀君朝鮮)や(殷)の(箕子)が建国したとされる(箕子朝鮮)があるが、実在が確かな最初の国家は(紀元前5世紀)から(紀元前4世紀)に中国人勢力が朝鮮半島北部に波及したことによる(衛氏朝鮮)である。(4世紀)には(高句麗)、新羅、(百済)、(加羅)が朝鮮半島内で対立。(6世紀)には加羅諸国は新羅などに併合され、高句麗、新羅、百済の(三国が覇権を争った)後、(唐)と同盟した新羅は(663年)の(白村江の戦い)で百済と(倭国)の連合軍を破り、668年に高句麗王を投降させ、唐の支配力が衰えるとともに、677年に朝鮮に統一王朝を築いた。その後、新羅の弱体化により892年に(後三国時代)が始まった後、918年に建国された(高麗)が936年に全土を統一した。高麗は(モンゴル帝国)の侵攻を受け弱体化し、1392年に高麗の武将(李成桂)が(恭譲王)を廃位して国王に即位して李氏朝鮮が成立。17世紀に(ホンタイジ)が治世を敷く(清)に服属した。李氏朝鮮は(19世紀)に(近代化)の波が(東アジア)へ押し寄せる中で弱体化していった。
19世紀末に至るまで、朝鮮の統一王朝は(中国歴代王朝)の(冊封国)として臣事していたが、(日清戦争)の講和条約である(下関条約)において、日本の求めに応じて敗戦国の清が朝鮮に対する(冊封)を取りやめたため、李氏朝鮮は1897年に完全な独立国家として(国号)を『(大韓帝国)』に改称したが、その後も、長年の(従属国)体制で染みついた(事大主義)体質や(小中華思想)を払拭する事は出来なかった。また日本により制限された自国の交易権を認めてもらうため、(ロシア帝国)に接近する動きを見せるようになり、日本との対立を深めた。
(1903年)の(龍岩浦事件)がきっかけとなって、(1904年)に勃発した(日露戦争)の勝利を経て、日本はロシア帝国の朝鮮に対する影響力を完全に排除した。日露戦争勃発後の(1904年)に締結された第1次(日韓協約)により韓国が外国と条約を締結するには日本政府との協議を要することになり、日露戦争後の(1905年)に締結された第2次日韓協約では外交権を接収され、内政も事実上日本の(韓国統監府)による統治を受ける保護国となった。
(1907年)には、皇帝(高宗)が第2次日韓協約の無効を(オランダ)・(ハーグ)で開かれた第2回(ハーグ平和会議)に認めさせようと(ハーグ密使事件)を起こし、日本と対立を深め、高宗は譲位に追い込まれ、日本の傀儡としての(純宗)皇帝が擁立された。直後の1907年に第3次日韓協約が締結され、韓国統監府による朝鮮統治、高級官僚の日本人の就任、韓国の軍隊を解散させることなどを認めた。さらに(1910年)には(韓国併合ニ関スル条約)を締結し、名実ともに朝鮮は日本の(植民地)となった((韓国併合))。
これ以降、35年間に渡って朝鮮は日本の(朝鮮総督府)による(統治)を受けた。その後1941年12月8日の(太平洋戦争)の勃発で、日本が(イギリス)やアメリカ合衆国、(オランダ)や中華民国の(連合国)との間で交戦になると、連合国の首脳は1943年の(カイロ宣言)から「朝鮮の解放・独立」を求めるようになる。(第二次世界大戦)末期の(1945年)(8月9日)、(ソ連対日参戦)によってソ連軍は(満洲国)への進軍を開始し、朝鮮半島北部に侵攻。その後、9月2日に(日本が降伏文書に調印)したことで、日本の朝鮮統治は正式に終了した。
その後朝鮮半島は、(北緯)38度線以南をアメリカに、以北をソビエト連邦に(占領)され、両国軍の軍政統治を受けた。当初米ソ両国は、(ヤルタ会談)に基づいて朝鮮を(信託統治)する予定だったが、その実現方法を巡って決裂し、それぞれの支配地域で政府を樹立する準備を開始した。
その結果、(アメリカ軍政庁)によって1948年8月15日に(李承晩)を首班とする大韓民国が朝鮮半島南部単独で樹立され、朝鮮の分断が決定的となった。これに対抗して朝鮮半島北部でも独立準備が加速し、同年9月9日に金日成首相の下で、朝鮮民主主義人民共和国が建国された(なお北朝鮮では政治的権限は金日成首相にあったが、元首は(最高人民会議常任委員会)の(金枓奉)委員長であった)。
1945年8月15日に、日本が連合国軍との間の戦闘を停止した後に、日本から行政を引き継ぐために設立された(朝鮮建国準備委員会)(建準)が、9月6日に「(朝鮮人民共和国)」の建国を宣言し、中央本部を「中央人民委員会」、地方の支部を「(人民委員会)」とした。しかし朝鮮人民共和国は、米ソ両国から(政府承認)を拒否され、アメリカ軍占領地域では人民委員会も解散させられた。だが、(ソ連軍)は占領地域の人民委員会を存続させ、(ソビエト民政庁)に人民委員会を協力させる形式で(占領行政)を担った。
ソ連は、各地の人民委員会を(中央集権)化させる形で1946年2月に(北朝鮮臨時人民委員会)を創設し、ソ連から帰国した(抗日パルチザン)の金日成を初代委員長に就任させた。朝鮮半島北部では、北朝鮮人民委員会の執政下で社会主義化が進み、1946年8月には朝鮮半島北部の(共産主義)勢力を糾合した(北朝鮮労働党)が結成され、1947年2月20日には(立法機関)として(北朝鮮人民会議)が創設された。
その後、北朝鮮人民委員会は(独立)のために最高人民会議を招集し、1948年9月8日に(朝鮮民主主義人民共和国憲法)を制定、翌9月9日に人民共和国の樹立を宣言して独立した。1948年12月にソ連軍は朝鮮半島から撤収したが、その後も強い影響力を残した。
建国後]
北朝鮮建国の翌1949年6月30日に北朝鮮労働党は、韓国の李承晩政権の(反共主義)政策のために(越北)した(南朝鮮労働党)と合併し、朝鮮労働党が結成された。
南北朝鮮の両国は、互いに自らを「朝鮮における唯一の正統な政府」であると主張して対立を深め、武力による(南朝鮮の「解放」)を目指す朝鮮人民軍が、1950年6月25日に韓国に侵略したことで朝鮮戦争(祖国解放戦争)の勃発に至った。
当初分断国家朝鮮両国の武力衝突であった朝鮮戦争は、東西冷戦構造の中で突然の侵略を受け劣勢になった韓国側に立った(ダグラス・マッカーサー)元帥の下、アメリカや(イギリス連邦)、(タイ)や(トルコ)、(フランス)や(ベルギー)など16か国から構成される「(国連軍)」の参戦と、「国連軍」の朝鮮半島北上により北朝鮮の劣勢を受けて北朝鮮側に立った(彭徳懐)司令官率いる(中国人民志願軍)の介入により(国際紛争)へと拡大した。戦争は朝鮮全土を破壊した上で1953年7月27日の休戦を迎え、(38度線)に軍事境界線が制定され朝鮮の分断が固定化された。
朝鮮半島の分断は(停戦)状態のまま固定されており、(朝鮮統一問題)が北朝鮮の最重要課題となっている。休戦後、北朝鮮は「南朝鮮を解放」するため(特殊工作員)の(対南工作)に力を入れ、しばしば(韓国の情報機関)に摘発されているほか、韓国や日本などの国民の拉致も行っている。また、正規軍同士による武力衝突も散発的に起きており、北朝鮮はしばしば休戦協定の無効化をほのめかす声明を行っているが、協定締結者である国連軍と中華人民共和国双方に受け入れられていない。なお、北朝鮮と韓国はともに1991年9月17日に国際連合に加盟している。
北朝鮮は金日成が1948年9月9日の建国当初から1994年7月8日の死去まで最高指導者の位置を占めた。1950年代から1960年代にかけて、金日成は同国の(指導政党)である朝鮮労働党から(満州派)と対立する勢力を順次粛清し、自身に権力を集中させた。まず、1953年の朝鮮戦争休戦直後から、戦争責任を問われて(南労党派)の党員が相次いで粛清され、1955年に主要人物の(朴憲永)が(死刑)となった。次いで、1956年には(ソ連)の(スターリン批判)の影響から(8月宗派事件)が発生し、金日成の追放を企てた(延安派)と(ソ連派)の党員が相次いで党から姿を消した。最後に、(経済政策)や金日成の(個人崇拝)などを巡って満州派と対立した(甲山派)が1967年に粛清され、朝鮮労働党内から金日成・満州派と対立する勢力が一掃された。
延安派やソ連派の粛清に伴い、金日成は朝鮮戦争後の北朝鮮再建に影響力を持つソビエト連邦や中華人民共和国との関係を悪化させた。だが、満州派は1958年から(千里馬運動)を展開して国内の生産性向上による問題解決を図った他、1960年代から表面化した(中ソ対立)の際に中立的な立場をとって双方と軍事同盟条約を結んだことで両国との関係悪化を最小限に抑えた。その後、満州派は甲山派の粛清と同時に党の指導理念として(唯一思想体系)を導入し、1972年制定の朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法で公式な国家の運営思想として主体思想を明記した。更に、1974年には国民の行動規範として(党の唯一思想体系確立の10大原則)が制定され、金日成個人崇拝が進められた。
北朝鮮は国内の(権力闘争)の一方で、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦直後より他の(社会主義国)から支援を受けながら(経済)を発展させ、1970年代までは韓国に対し国力で優位を保っていた()。そのため、東西冷戦期には北朝鮮から韓国に対して(連邦制)による南北朝鮮統一案が幾度か能動的に提案されている。最初の主な提案は1960年で、(四月革命)で韓国の李承晩初代(大統領)が退陣した直後の8月14日に「」と南北両政府合同による「」の樹立を提示している。次に提案があったのは、1979年10月26日の(朴正煕暗殺事件)を受け、翌1980年に(5・17非常戒厳令拡大措置)によって韓国に(全斗煥)将軍による(軍事政権)が樹立された直後で、1980年の10月10日に南北両政府の(政治体制)の相違を乗り越えた統一案として「(高麗民主連邦共和国)」創設を提唱している。
しかし1970年代後半から1980年代になると、北朝鮮の(社会主義経済)は効率性・生産性の欠如が進み(参照)、(重工業)・(軍事産業)と比して(軽工業)が発展しなかったために民需品が不足するなど、経済発展の停滞が深刻化した。これは、経済問題に明るい甲山派が1967年に粛清されて経済政策に精通した(テクノクラート)が中央から姿を消したこと、唯一思想体系の導入で経済対策の中央集権化や(官僚主義)化が進んだことによるものといわれ、(大安の事業体系)や(青山里方式)((主体農法))といった中央政府の施策を(教条主義)的に全国へ導入したことで全国的な生産力の劣化や(労働者)の(勤労)意欲の減退を招いたとされる。朝鮮労働党も(三大革命赤旗獲得運動)などで社会の活性化を目指したが経済状況は好転せず、本来は5年に一度の頻度で開くべき朝鮮労働党党大会も1980年の第6次大会以降は開けない状態が長く続いた。それどころか、1989年の(東欧革命)、及び1991年の(ソビエト連邦の崩壊)によって(東側諸国)との従来の経済交流が断絶し、特にソ連からの(重油)の供給停止が引き金となって、北朝鮮は1990年代に入ると今迄の社会状況を維持することすら困難となった。
1990年代半ばになると従来の(計画経済)は完全に崩壊して国全体の経済制度が破綻状態となり()、(食糧)などのの(配給)が止まったことで国内各地では食糧不足が深刻化し、各国の支援にもかかわらず、内陸の(農村)部を中心に(餓死)者が出る事態となった。それに伴い、多くの人々が食料を求めて中朝国境を越えて中国へと密入国し、(脱北者)問題が国際的に注目されるようになった()。
1994年7月8日に建国以来一貫して国政を指導してきた金日成が死去すると、その実子である金正日が1997年に(朝鮮労働党総書記)へ就任した。本来、朝鮮労働党規約では党中央委員会総会で党中央委員会総書記を選出するとしているが、この際に党中央委員会総会は開催されずに各級党会議での「総書記推戴決議」という形式をとり、(朝鮮労働党中央委員会総書記)ではなく朝鮮労働党総書記という規約上存在しない役職に就任した。更に1998年には、憲法改正で(国家主席)制を廃止すると共に、同年の最高人民会議で「国の全般を建設、指揮する国家の最高職責」(事実上の最高指導者)とされた(国防委員長)に金正日が再任され、金正日国防委員長による新体制が成立した。
1998年当時の北朝鮮は(独裁体制)のもとで経済が低迷し、冷戦構造の崩壊によって国際的にも孤立した状態となっていた。そのため、北朝鮮政府は経済支援を引き出すために多くの(西側諸国)との間で(国交)樹立に向けた外交交渉に取り組み、その結果として1999年以降に相次いで国交を樹立した他、2000年には韓国の(金大中)大統領との間で(南北首脳会談)の開催と(6.15南北共同宣言)採択に成功した。その後、中国の経済協力や韓国の(太陽政策)などによって、破綻に瀕した北朝鮮経済は一応の安定をみせた。しかし、(核兵器開発計画)を巡って、(アメリカ政府)との間では緊張状態が継続した他、日本政府との(国交締結交渉)は、日本人拉致問題や韓国併合およびその統治に対する賠償などで意見が対立し、締結には至らなかった(日本統治時代の賠償に関しては、日韓基本条約により問題が更に複雑化している。を参照)。
2011年12月17日に(金正日総書記が死去)し、三男の金正恩を首班とする新体制が発足した。金正恩第一書記体制下では(張成沢)を粛清し、前代からの国防委員を解任するなど、新たな権力体制構築が行われている。同時に、金正恩体制は北朝鮮経済の改革による経済発展を目指しており、(チャンマダン)による(市場経済)拡大に伴い平壌のような都市部で(生活水準)の向上などの変化が見られている一方、(貧富の差)の拡大も指摘される。ただ、核開発問題を理由に採択された(国際連合安全保障理事会決議)((決議1718)など)の(経済制裁)が有効なこともあり、経済政策の効果は限定的とみられている。(韓国銀行)による2020年時点の(GNI)推計値は137.9万(韓国ウォン)で、経済規模は未だ1970年代の水準で停滞を続けている。
歴史観]
- (檀君)という栄光の王が実在した、あるいは檀君が築いたとされる(檀君朝鮮)が存在したという(証拠)はほとんどなく、壇君が実在の人物だった可能性はゼロに近いというのが学術的には定説とされているが、北朝鮮は(朝鮮神話)の(檀君)を実在の人物だと主張しており、(1993年)(8月31日)の日刊(政府)(機関紙)である『(民主朝鮮)』には以下のようなことが書かれている。
日本の荒唐無稽な建国神話によっても、やつらの国家起源年代は紀元前660年をさらに越えることはできないが、我々の檀君神話や檀君に関する記録によれば、朝鮮の建国年代は紀元前2300年まで遡る。かくして日本の歴史が朝鮮より1600年以上も短いものとなり、したがって自ずから文化もその分だけ劣ったものとなる。 — 日帝の檀君抹殺策動、民主朝鮮、1993年8月31日
- (1993年)に(檀君)の(遺骨)を発見したと主張しており、檀君の骨は、「」による年代測定で5011年前のものだと分かったために、檀君は実在の人物であると発表し、その地に「(檀君陵)」なる(コンクリート製)の建造物を建設した。これに対して(宮脇淳子)は、「常識的に考えても(身長)3メートルの人間といった時点で眉唾ものだとわかるし、そもそも1年単位で時代を特定できるような先端科学技術を北朝鮮が持っているのかを考えれば、自ずと答えは明らかでしょう」と述べている。
- (古代中国の王朝)の(殷)の賢人である(箕子)が、(周)の(武王)によって朝鮮に封ぜられ建国した(箕子朝鮮)の歴史を「封建的支配階級、(事大主義)信者、大国至上主義者によって、不道徳に歪められた」と主張する北朝鮮の歴史家が攻撃し続けている。
- 朝鮮半島には古代から自主独立の国があったとする独自の歴史観を掲げているため、(漢四郡)の存在を否定し、朝鮮半島をおよそ400年間支配した(楽浪郡)は(遼東半島)にあったと主張している。
- 外国の(唐)と結び、(高句麗)と(百済)を滅ぼした(新羅)の行為を断罪しており、전영률((朝鮮社会科学院)歴史研究所所長)は、「新羅中心説」「新羅正統説」を主張することは、南朝鮮傀儡(韓国)の(売国的)な「(北進統一)」にいくつかの歴史的根拠を提供する御用行為と非難している。
新羅支配層が外勢(唐)を引き込んで、高句麗と百済を滅亡させた。高句麗領土の北部は唐の支配下に置かれた。新羅は朝鮮半島の大同江以南のみ支配しただけだ。高句麗の故地には、高句麗遺民が靺鞨族と一緒に高句麗の将軍である大祚栄の指揮のもと渤海国(698〜926年)を立てた。...したがって新羅は統一国家ではなく、国土の南部に輝いた朝鮮の地域王朝に過ぎず、私たちの歴史の最初の統一国家は高麗ということが科学的に明らかになった。 — 전영률
- 北朝鮮は歴代王朝の中で(高麗)についてのみ「同じ民族に対する裏切りがなかった」として前向きに評価している。高麗こそ、朝鮮民族の誇りや名誉・自主独立を示した国であるとし、将来に南北統一が実現した時には、この高麗の名をとった国名((高麗民主連邦共和国))を使用しようと韓国に提案している。
- (李氏朝鮮)について痛烈に批判している。(李成桂)は、もともと高麗に仕える将軍であり、異民族であり敵国であった(明)を攻撃するために出撃したはずが、どういうわけか大した戦闘もせず明軍に降伏してしまい、そのまま高麗の首都・(開京)を攻撃し、李氏朝鮮を建国した。この事件は、(威化島回軍)として知られる。李成桂のこの行動の動機・真相はわかっていないが、北朝鮮は、李成桂の行為を明に対する「降伏」の意思表示とみなし、祖国高麗を明に売り渡す卑劣な裏取引があったとして、李成桂を売国奴として批判している。ただし、李成桂は(女真族)出身であり、そのことから一連の不可解な行動を説明しようとする説もある。
- 北朝鮮にあるを、北朝鮮は(高麗時代)の築造と主張している。は、をその(遺物相)などから、(戦国七雄)の(燕)の(長城)とみており、これらの地域には、燕の(遺物)および(秦)・(漢)の遺物を含む遺構がみられるのが、特徴であり、北朝鮮への燕の進出がうかがわれる。
- (朝鮮独立運動)を担い、のちに韓国で大いに賛美されている(義士)たちは、(金日成)ら(抗日パルチザン)のメンバーをのぞいて、あまり評価されておらず、たとえば(伊藤博文)暗殺で有名な(安重根)は(両班)という出身に矛盾があり、(愛国)的ではあったものの解決策を持たず手段も目標も誤った人物と捉えており、「北朝鮮では彼を愛国者と評価しつつも金日成氏のような偉大な指導者に出会えず志を遂げられなかった人物として、それほど評価は高くない」。
- 若き日の(金日成)は(白頭山)で激しい抗日闘争を展開し、日本軍を相手に百戦百勝の勝利を収めたと伝えている。これに対して(李栄薫)は、「真っ赤な嘘」と評している。
- 朝鮮半島南部に対峙する同じ民族の民主主義国家、大韓民国(北朝鮮では「南朝鮮」と呼称する)を「(アメリカ帝国主義)の(傀儡政権)」として非難している。
- 北朝鮮の(侵略)で始まった(朝鮮戦争)(北朝鮮側は「祖国解放戦争」と呼称する)は「(米帝)の(侵略)を撃退した(自衛戦争)」としており、戦争原因を「韓国側が攻撃したから反撃した」と主張している。
- 平壌を中心とした大同江流域の古代文化を「大同江文化((朝鮮語): 대동강문화)」と命名し、(世界四大文明)と肩を並べる「(世界五大文明)」の中の1つと主張している。「(主体思想)」も参照
地理]
同国は憲法で朝鮮半島全域を領土であると規定しており、そのうちの軍事境界線(38度線)以北およびその属島を実効支配している(韓国政府が統治している38度線以南の地域は、北朝鮮では「南朝鮮:남조선 ナムチョソン」と呼ばれている)。
なお、韓国も同じく朝鮮半島全域を領土であるとしている。韓国では北朝鮮政府が実効支配している領域を「北韓:북한 プッカン」と呼ぶ。
また、1945年の日本の統治終了後、1948年9月8日制定の朝鮮民主主義人民共和国憲法で定められた首都は、朝鮮半島南部を実効支配していた韓国と同じく(ソウル)となっており、北朝鮮の首都機能が存在した平壌は当時「臨時首都」の扱いだった。しかし1972年12月27日に制定された朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法により、同国の首都は法的に平壌に変更された。
気候]
気候は(夏)は暑く、(冬)は寒い顕著な(大陸性気候)で、ほぼ全域が(亜寒帯冬季少雨気候) (Dw) に属する。冬季の平均気温は、南部で-4度〜5度前後。平壌などの北西部から中部にかけては-6〜7度前後。東部沿岸で-4度〜5度前後。(蓋馬高原)や北部内陸部では-10度以下となり、特に(慈江道)、(両江道)、(咸鏡北道)などの中朝国境の鴨緑江と豆満江上流付近は非常に寒く、1月の平均気温は-15度以下に達する。特に慈江道(中江郡)のは1月の平均気温が-16.5度にまで下がり、1933年1月12日には-43.6℃という国内最低気温を観測し、山岳地帯の白頭山を除けば朝鮮半島最寒の地とされる。夏は、北東部や蓋馬高原で涼しい一方、北西部や南部では比較的暑くなり、8月の平均気温は24度を超す。降水量は夏季に集中し、冬季には少ない。そのため、冬季の寒さは厳しいが、積雪量は少ない。
平年値 (月単位) | (平安北道) | (平安南道) | (平壌) | (開城) | (黄海北道) | (黄海南道) | (江原道) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(新義州) | (碧潼) | (南浦) | (沙里院) | (海州) | (夢金浦) | (元山) | (内沔里) | ||||
(気候区分) | Dwa | Dfa | Dfa | Dwa | Dwa | Dwa | Dwa | Cfa | Cfa | (Cfa) | |
平均 気温 (℃) | 最暖月 | 24.2 (8月) | 23.5 (7月) | 23.9 (8月) | 24.5 (8月) | 25.3 (8月) | 24.2 (7月) | 24.9 (8月) | 23.3 (8月) | 23.8 (8月) | 24.4 (8月) |
最寒月 | −6.6 (1月) | −9.6 (1月) | −4.6 (1月) | −5.9 (1月) | −5.6 (1月) | −4.8 (1月) | −3.4 (1月) | −2.5 (1月) | −2.2 (1月) | −1.2 (1月) | |
(降水量) (mm) | 最多月 | 297.2 (7月) | 310.4 (7月) | 278 (7月) | 294 (7月) | 420 (7月) | 296 (7月) | 327.2 (7月) | 199 (7月) | 305.1 (7月) | 234 (7月) |
最少月 | 13.6 (12月) | 12 (1月) | 14 (1月) | 11.7 (1月) | 14 (1月) | 12 (1月) | 10.4 (1月) | 15 (2月) | 22.1 (12月) | 28 (1月) | |
平年値 (月単位) | 咸鏡北道 | (咸鏡南道) | 両江道 | 慈江道 | |||||||
(金策) | (清津) | (セビョル) | (咸興) | (赴戦) | (恵山) | (三池淵) | (大沢) | (中江鎮) | (江界) | ||
(気候区分) | Dfa | Dwb | Dwa | Dwa | Dfb | Dwb | Dfc | Dwb | Dwa | Dfa | |
平均 気温 (℃) | 最暖月 | 22.3 (8月) | 21.5 (8月) | 22.3 (8月) | 23.7 (8月) | 16.8 (7月) | 20.4 (7月) | 16.4 (7月) | 14 (7月) | 22.1 (7月) | 23.2 (7月) |
最寒月 | −4.2 (1月) | −5.6 (1月) | −11.5 (1月) | −5.5 (1月) | −15.6 (1月) | −16.5 (1月) | −17.4 (1月) | −17.4 (1月) | −16.5 (1月) | −11.8 (1月) | |
(降水量) (mm) | 最多月 | 138.4 (8月) | 155 (8月) | 142 (8月) | 209 (8月) | 236 (7月) | 149.4 (7月) | 173 (7月) | 205 (8月) | 267.3 (8月) | 234 (7月) |
最少月 | 19.2 (1月) | 10 (1月、2月) | 4 (1月) | 14 (1月) | 16 (1月) | 8.8 (2月) | 10 (1月) | 17 (1月、2月) | 6.9 (1月) | 11 (1月) |
政治]
政治体制]
政治体制は、チュチェ思想((主体思想)。即ち、朝鮮民族の主体主義)に基づく(社会主義)体制(社会主義人民共和制)をとる。
金正日政権下の2009年に改定された憲法序文で、(軍事)が全てに優先するという(先軍政治)が、主体思想と共に社会主義体制を建設するための中核思想と規定された。
金正恩政権下では2016年6月29日の最高人民会議での憲法改正により国防委員会が廃止され国務委員会が設置されるなど、朝鮮人民軍の軍部が主導する政治から朝鮮労働党が主導する政治への転換がみられる。
3代世襲の最高指導者]
共和国社会主義憲法は「朝鮮民主主義人民共和国は偉大な首領金日成同志及び偉大な指導者金正日同志の思想及び領導を具現した主体の社会主義祖国である」という序文から始まっており、(金日成) 、(金正日)、(金正恩)という、3代世襲の最高指導者への(個人崇拝)と絶対服従が、北朝鮮の政治体制の基礎となっている。通例、社会主義国では最高権力者の世襲はなく、北朝鮮は特異な体制をとっている。
(最高指導者)は国家においては朝鮮民主主義人民共和国主席、朝鮮民主主義人民共和国国防委員長、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会第一委員長、朝鮮民主主義人民共和国国務委員長、党においては朝鮮労働党中央委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会総書記、朝鮮労働党第一書記、朝鮮労働党委員長、軍においては(共和国元帥)(2017年時点)の階級を保有した朝鮮人民軍最高司令官と、時代によってその役職は変遷するものの、一貫して国家、党、軍の最高の職位を兼職し、事実上の個人独裁体制を敷いてきた。
1994年7月8日の(金日成の死去)によって空位となっていた国家主席職は1998年に事実上廃止され、その後は金日成を「」と憲法で定めた。以降、外国使節の信任状などを取り付ける役割を果たす最高人民会議常任委員会委員長が形式的には(元首)として取り扱われてきたが、実権は金日成の実子である金正日が朝鮮労働党中央委員会総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員長、朝鮮人民軍最高司令官として、党、国家、軍の権力を一貫して握ってきた。1998年に金正日が国防委員長に推戴される際、国防委員長職は「国家の最高職責」と表現された。2009年改正憲法により国防委員長の権限がさらに強化され、「国家の最高指導者」と憲法に明記された。
2011年12月17日、金正日は現地指導中に急死し、「永遠の総書記」、「永遠の国防委員長」と位置付けられた。金正日の後継者としてはその三男の正恩が祖父・父に続く三代目の最高指導者に指定され、国家においては国防委員長に代わって設置された国防委員会第一委員長に、党においては党中央委員会総書記に代わって設置された党第一書記に、軍においては共和国元帥に就任した。ついで2016年5月に36年ぶりに開催した党大会で、党第一書記に代わって設置された党委員長に就任し、6月の最高人民会議で、国防委員会第一委員長に代わって設置された国務委員会の委員長に就任した。
金正恩体制は、以前にも増して一族による世襲を強調している。(2013年)12月12日、金正恩の叔父で国防委員会副委員長の(張成沢)を反逆者であるとして死刑に処した際、特別軍事裁判の判決文では、以下のように述べた。
歳月は流れ、世代が十回、百回交代しても変化することも替わることもないのが白頭山の血統である。
わが党と国家、軍隊と人民はただ、金日成〔(ママ)〕、金正日、金正恩同志以外には誰も知らない。
この天下で、あえて金正恩元帥の唯一的指導を拒否し、元帥の絶対的権威に挑戦し、白頭山の血統と一個人を対置させる者をわが軍隊と人民は絶対に許さず、それが誰であれ、どこに隠れていても一人残らず掃き集めて歴史のしゅん厳な審判台に立たせ、党と革命、祖国と人民の名で無慈悲に懲罰するであろう。
このように、「(白頭山の血統)」である金一族の永遠の世襲と、人民に対する絶対性が強調されていることがわかる。元来、共和国の社会主義路線を貫いている主体思想は、社会主義の盟主たる(ソ連)のスターリン主義の後継と位置付けられ、社会主義・(共産主義)に指導者への(個人崇拝)を導入したが、その後、(旧宗主国)(大日本帝国)の(明治憲法)と(教育勅語)を参考に、指導者への絶対的忠誠こそが(愛国心)という、金日成が唱えた(社会主義的愛国主義)の考え方を体系化する手段として(十大原則)が構築された。
十大原則は、金正恩が第一書記に就いた後の2013年に改正されたが、1974年の旧条文に存在した共産主義という言葉が消え、代わりに「全社会の金日成・金正日主義化」が朝鮮労働党の最高綱領となっており、以前にも増して金一族による絶対王政が強められ、(西側)(反共)陣営や旧ソ連の後身のロシアなどからも金王朝とすら呼ばれることがある。
2014年の最高人民会議代議員選挙で最高指導者の金正恩は白頭山の選挙区から選出されたことが公表されていたが、2019年3月の最高人民会議代議員選挙では当選者名簿に名前がなかったことから注目された。2019年4月の最高人民会議で金正恩は国務委員長に再選されたが、その後の北朝鮮国内での報道などから最高人民会議で同時に行われた憲法改正により国家機構が変更され対外的代表権も持つ元首としての地位に就いたとの見方が出ている。
2021年1月10日、前日に朝鮮労働党の規約が改正され、書記局が復活したのを機に、金正恩を(総書記)とする決議が(第8次党大会)において全会一致で採択されたと報じられた。
支配政党と立法府と行政府の関係]
同憲法第11条には「朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の指導の下にすべての活動を行う」と規定されており、朝鮮労働党が国家の行政機構より上位に定められている。
公式には朝鮮労働党の他に(朝鮮社会民主党)や(天道教青友党)の2政党が存在するが、この2党は朝鮮労働党の指導を認める「(衛星政党)」であり、(野党)ではないため、事実上の(一党独裁制)である(ヘゲモニー政党制)に分類される。これらの衛星党は外国の政党との政党間外交をおこなうために存在しているとみられ、特に、2000年から2011年まで存在した韓国の(左派)政党(民主労働党)は朝鮮社会民主党と交流関係を持っていた。
(立法府)は(一院制)の最高人民会議である。定数は687議席。行政府の長は内閣総理であり、最高人民会議から選出される。
支配政党と軍の関係]
憲法上は朝鮮労働党が国家の一切を指導すると規定されているが、第2代最高指導者の金正日執権下の1997年に北朝鮮メディアで先軍政治の言葉が初出し、1998年の金正日体制成立5周年記念において当時の(金永春)人民武力部長が「党と軍の対等性」を主張し、2009年憲法で軍を司る国家機関の国防委員長が「国家の最高指導者」と規定されたことにより、党機関の絶対的な優越が崩れて一党独裁体制が崩壊し、社会主義体制が形骸化したと指摘されており、国防委員長の金正日の個人独裁体制となったと推測する声がある。2010年9月28日の第3回党代表者会で採択された党規約では、「社会主義」や「マルクス・レーニン主義」は残されたものの「共産主義」は削除され、「先軍政治」が新たに明記された。
一方で、表向きは「先軍政治」のスローガンが掲げられながらも、憲法11条では従来どおり「朝鮮民主主義人民共和国は、すべての活動を朝鮮労働党の指導のもとにおこなう。」と定められている。また、一貫して金正日を事実上の部長に頂いた(党組織指導部)が、党、軍、国家などの各機関に対する思想検閲や人事査定を行ってきており、党組織指導部第一副部長だった張成沢や(李済剛)が大いに権勢を揮って来た歴史があり、張成沢の粛清劇に党組織指導部第一副部長の(趙延俊)が暗躍したと考えられていることから、党組織指導部こそ北朝鮮の真の権力中枢機関で、軍に対する党の一定の支配は、先軍政治が掲げられて以降も、一貫して行われてきたとの分析もある。
このように金正日時代には軍を司る国家機関の国防委員会が重要な役割を担ってきたが、金正恩が第3代最高指導者に就任してからは、軍事的な決定は国防委員会ではなく党機関の(中央軍事委員会)で行われることが多くなっており、党の役割が再強化されたといわれている。そして2016年6月、主に軍人で占められていた国防委員会が廃止され、新たに国務委員会が設置されて委員には非軍人の多くが参画することになった。また、最高指導者の金正恩が国家の最高指導者として国防委員長に代わって新設された国務委員長のポストに就任した。
公職選挙]
現行憲法(2016年6月29日付、第13期最高人民会議第4回会議にて改正)では、第1章(政治)第5条において、「朝鮮民主主義人民共和国における全ての国家機関は、(民主主義中央集権制)原則によって組織され運営される」と規定され、最高人民会議の代議員は直接(選挙)によって選出されることになっており、選出された最高人民会議ないしそれによって任命された内閣・国防委員会からなる中央政府、地方人民会議によって任命された地方政府とも、国民の総意によって委託され運営されることと定められている。
しかし、北朝鮮の体制自体がスターリン存命時代の旧ソ連体制((スターリニズム))を、一部を除きほぼそのまま踏襲したものであることから、対内的には有権者登録作業において世帯や人口を把握する(国勢調査)的手段として、あるいは党の施政に対して国民が誠意を持って参加できるかを試し強制的に人心を掌握する手段として、対外的には、他の(西側諸国)に対して「議会制民主主義によって政権が運営されている」との政権正統性を誇示するための手段としての、政治的儀礼にすぎないとされている。
代議員選出選挙は、5年に1度、国政選挙である最高人民会議選挙と地方人民会議選挙に分けて行われる。地方人民会議選挙においては、(道)ないし(直轄市)、市、郡ないし区域の人民会議の選挙を全て同日に行う統一地方選挙の形をとる。ただし、5年というのは前回の選挙実施日から5年を経過したことを意味し、あくまでも目安であり、実際は任期満了後でも(朝鮮労働党中央委員会)において候補者決定などの準備を完了しないと選挙は行われない。また、任期満了の直前に最高指導者が死亡し、長期の服喪となった場合や戦争その他の理由により正常な選挙の実施が困難と判断された時は選挙が延期される。
(選挙権)は(数え年)17歳以上の者が持つ。(選挙区)は(小選挙区制)をとり、選挙区は630程度、最高人民会議の代議員は各選挙区定員1名、地方人民会議では定員総数26,650名程度が設定されている(2003年8月実績)。選挙区は、「第○○○号選挙区」のように、全て地域名でなく数字で表示されており、番号の付与も地続きではないため、選挙区名を見るだけでは、選挙実務担当者以外はどの地域を示しているのかを理解することができないようになっている。また、出馬する選挙区についての規定は全く無いに等しく、党中央委員会の恣意的選定によって決定される。例えば、1982年から6期連続当選した金正日は、毎回異なる番号の選挙区から出馬していた。
(被選挙権)についても、名目上は成人なら誰でも立候補できることになっているが、選挙運営上は党中央委員会により指名された候補者以外が立候補することはできず、なおかつ朝鮮社会民主党と天道教青友党の候補者は朝鮮労働党の指導的役割に従属する((ヘゲモニー政党制))。無所属でも立候補は可能だが、あくまでも党中央委員会の指名を受けることが必要である。そして、すべての選挙区で1名しか立候補しないため、実態は選挙というよりも当選予定者の(信任投票)となっている。
ただし、では新たに複数候補による(予備選挙)制が導入され、この予備選挙で当選した者が選挙の候補者となる形式に変更された。
選挙日が公示されると、まず有権者の登録が行われ、疾病や障害で投票できない、ないしは(強制収容所)にいるなどの理由がある者は登録除外される。有権者登録が終わると、「全員賛成投票せよ」などという主旨の(スローガン)が(メディア)や選挙(ポスター)で啓蒙され、各人民班や社会団体・機関ごとに賛成投票を督励する行事や決意集会が開催される。この際、投票督励のスローガンのみならず、「人民主権の参加で先軍政治を一層輝かせよ」といった類の政治的スローガンもしばしば好んで用いられる。
ただ、上記のようなスローガンは活発に叫ばれる一方で、立候補者の略歴や(政策)・(公約)などの詳細についてはほとんど広報されず、信任の判断を下そうにも選挙当日まで立候補者の政策どころか誰が立候補しているのかさえ不明である事もしばしばあるため、一般的な(民主主義)国のような有権者が立候補者の経歴や政策などを比較検討して投票できる選挙制度とは全く異なっている。
この期間中には、(国境)や海上はもちろん、各行政区域間の移動証明書の発給が極めて厳しく取り締まられるようになり、事実上の移動制限措置がとられる。
投票日当日には、投票所に入場した者の住民登録を確認して有権者登録者であることを認定され、有権者は投票場に隊列をなして入場し、順に投票用紙を受け取る。この投票用紙はあらかじめ候補者名がスタンプされており、候補者に賛成の場合には何も書かずに投票、反対の場合には×表示を記入してから投票することと規定されている。名目上は(秘密投票)であり、周囲の視線を遮断した記票所が設けられているが、反対投票を行う時のみ投票用紙に記入を行わなければならず、そしてその記入をするための記票所は列を外れたところに設けられている。元より賛成票を入れるつもりの投票者は、わざわざ反対投票の嫌疑をかけられるような記票所に立ち寄ることなく、直接投票箱に投函するため、記票所に立ち寄った者は反対者であるとすぐ分かるようになっており、事実上、投票の秘密が保護されない(公開投票)となっている。
記票所に立ち寄ってから投票した者は、反対投票をしたと見なされ、選挙場退出と同時に反革命分子として(国家保衛省)に勾引され、重い尋問を受けた上で特別監視対象とされたり、本人はもちろんのこと家族も強制収容所に収容されることもあるため、重大な社会的不利益を被る可能性が高い反対票を入れる人は皆無であり、投票者のほぼ全員が賛成票を投じる。
朝鮮中央テレビや海外のメディアが取材に訪れる投票所や、指導者が投票に訪れる投票所周辺では、選挙を記念した祝賀行事が行われていることが多く、その模様がメディアで公開されることがある。
投票率は毎回99.8か99.9%という高率となっているが、これは投票に参加しない者も反革命分子と見做され、特別監視対象とされるため、有権者登録以降に死亡した場合や、急病や怪我によって投票に行くことが出来なくなった場合などを除き、ほぼ全員投票するためである。仮病や虚偽の怪我でないかについては、国家保衛省の確認調査がなされる。このため、事実上の(義務投票制)となっている。
各選挙区ごとの開票結果については一切公にされることはなく、(国営放送)の(朝鮮中央テレビ)で全選挙区をまとめて、「99.9%投票参加、100%賛成」といった、おおまかな選挙結果だけが公表され、仮に反対票を投じた者があってもその投票は無効ないしは投票の事実そのものがなかったとみなして、賛成者は100%であったと報道されるのが常である。ただし、最高指導者以外の当選者についても氏名のみが(朝鮮中央通信)を通じて公表される。
階層制度]
人権問題]
(アムネスティ・インターナショナル)では、北朝鮮の(表現の自由)・(集会の自由)・(移動の自由)などへの厳しい制限、死亡や処刑などの結果を含む、当局による恣意的な(拘束)・(拷問)・(虐待)などを報告し、「北朝鮮の(人権)は世界で最低レベルである」と評している。また、推定20万人の政治犯やその家族を収容しているとされる強制収容所を「想像可能な中で最も非人間的な状況」と呼び、その閉鎖を求めている。
(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)も、北朝鮮の(政治的自由)や(経済的自由)への厳しい制約を「世界で最も非人道的」と呼んでいる。また、北朝鮮の状況について、閉鎖国家ゆえに人権団体が国内に入って状況を調査・評価することが不可能な現状としている。
(2005年)、(国連)(総会)本会議で「北朝鮮の人権状況」決議が採択された。
(脱北者)と呼ばれる(亡命者)が数多く発生しており、(2002年)には(瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件)が発生した。近年では、脱北者や北朝鮮からの脱北を支援する「(自由朝鮮)」の存在が確認されている。
(刑務所)や(政治犯)収容所などの強制収容施設で多数の人々が殺害されたと言われるが、北朝鮮政府は政治犯収容所の存在を否定している。しかし、政治犯収容所の収容者や警備兵などの多数の証言によれば、収容所内で裁判なしに多くの人が日常的に殺害されており、(公開処刑)も行われているといわれる。
(工作員)による日本人、韓国人はじめ他国民の拉致を行っている問題もある((北朝鮮拉致問題))。
(2010年)(3月25日)、日本や(欧州連合)(EU)などが提出した、北朝鮮の人権状況を非難する決議が国連人権理事会で採択された。採択は3年連続で、今回は過去最多の28か国が賛成した。
(2021年)(11月17日)、国連総会第3委員会(人権)は北朝鮮による人権侵害を非難するEU提出の決議案をコンセンサス方式(議場の総意)により無投票で採択した。同種の決議採択は17年連続。年内に開かれる総会本会議で採択され、正式な総会決議となる。日本は決議案への賛同を示す共同提案国に加わった。中国やロシアは、特定の国の人権問題を取り上げることに反対し、決議案を支持する「総意」には加わらないと表明した。北朝鮮の(金星)国連大使は演説で「人権侵害は存在しない」、「決議案は欧米の敵視政策の表れだ」と反発を示した。
国家安全保障]
政策]
周辺諸国からの脅威に備えるため軍備拡充に力を入れている。(陸軍)、(海軍)、(空軍)、(戦略軍)、(特殊部隊)がある。
歴史的に朝鮮人民軍では第二次世界大戦中の抗日戦闘やその後の朝鮮戦争に参加した軍人が英雄視されてきたといわれている。(金正日)政権下では軍人と軍部に権限を集中する「(先軍政治)」が掲げられた。
(金正恩)政権下では政治面では(2016年)(6月29日)の最高人民会議での憲法改正により(国防委員会)は廃止され(国務委員会)が設置されるなど軍部が主導する政治から(朝鮮労働党)が主導する政治へ変化したといわれている。(国防委員会)の(国務委員会)への変更に伴い、(朝鮮人民軍)の長老の(呉克烈)と(李勇武)の二人が更迭され、国務委員会の副委員長に(朝鮮労働党)政治局常務委員の(崔竜海)と(朴奉珠)が任命されるなど軍が指導する政治から党が指導する政治への転換がみられる。軍事面では通常兵器ではない核兵器開発などが特に重視され、(金正恩)政権下では(核兵器開発)と(経済政策)をともに進める「並進政策」が掲げられた。
兵力と軍備]
過去数十年にわたり国防のために朝鮮人民軍に莫大な資源をつぎ込み、世界で5番目に大きい100万人を超える(軍隊)を有し、(国内総生産) (GDP) に占めるその比率が高い。推定軍事費 (CIA) 年間6000億円のうち4000億円強を(核兵器)・(ミサイル)に集中配分している。また近年では(サイバー攻撃)にも力を入れており、(朝鮮人民軍偵察総局)を主軸にサイバー司令部を設置し、朝鮮労働党や国防委員会傘下のハッキング専用組織に1,700人あまりのサイバー攻撃要員を擁し、関連機関の4,200人もサイバー攻撃に動員できるという。一方で、通常兵器は旧式の上、財政難のため、航空機や車輌の訓練用燃料すら確保が難しいとされており、兵器の性能、兵の練度ともに(韓国軍)との差は歴然と考えられている。世界最大規模の(特殊部隊)と(アメリカ陸軍)45万の2倍の90万の兵力の(歩兵)主体の地上軍を持ち、散開・分散が必要な核戦争に特化した構成となっている。 なお、2020年10月に行われた軍事パレードでは旧態依然としていた2018年ごろまでの装備とは違い、西側兵器の設計に影響を受けたと思われる改良や新兵器、新型戦車などが相次いで登場した。また歩兵用の軍服も様々な迷彩柄が施され、フリッツ式のヘルメット、防弾ベストなどといった最近主流のものへと変化していた。
大量破壊兵器]
(大量破壊兵器)については、(化学兵器禁止条約)に加盟しておらず2,500 - 5,000(トン)の化学兵器を蓄積する(化学兵器)大国である。停戦ライン地帯の北朝鮮砲兵は(毒ガス)砲弾や通常砲弾をソウルに撃ち込む能力を有している。1994年にアメリカが北朝鮮の核兵器生産施設を空爆しようとしたとき、北朝鮮は「(核施設が空爆されたらその報復に)ソウルを火の海にする」と恫喝し、韓国の金大中は訪米して空爆中止を嘆願した。結果として1994年(米朝枠組み合意)で北朝鮮の核施設は運転停止によって空爆破壊を免れ、2002年に運転を再開し、2003年に(核拡散防止条約)(NPT)から脱退し、2006年の核実験に至っている。
北朝鮮は韓国との軍事境界線(38度線)の(戦車)を旧式のまま放置している一方で、多額の費用を投入して「移動式」(弾道弾)を買い揃えており、韓国を狙う(スカッド)改を500基、日本を狙う(ノドン)200基、(太平洋)まで飛ばすことのできる(北極星2号)を整備している。アメリカとロシアを狙う弾道弾が500基であり、中国と日本を狙う核弾道弾ですら25基なので500基・200基という数は極めて大規模な国防の(ボディビルディング)である。日本にある(在日米軍)基地の攻撃機による北朝鮮核攻撃の可能性に対する自衛的抑止力としての配備なら20基あれば充分であり、北朝鮮側の「抑止力・自衛のため」という説明は軍事的には200基を超える対日弾道弾の過剰配備という実態と乖離しており、北朝鮮側の弾道弾過剰配備の真意について透明性が問われている(軍備は際限ない軍拡を避けるため、隣国と一定比率にするのが一般的である。(防衛省)(防衛研究所)研究官の(武貞秀士)のように北朝鮮は日米に核または化学ミサイルを突きつけて牽制しつつ韓国を核恫喝で併合する意図で核武装を進めてきたと観測する専門家もいる)。
加えて、北朝鮮は韓国の(PSI)参加表明を「宣戦布告」であると非難していることから、弾道弾その他大量破壊兵器および周辺技術を輸出して外貨を稼ぐ思惑もあるとされる。
なお、北朝鮮は少なくとも2019年現在、日本に向けている200基を越えるノドン弾道弾に化学兵器弾頭を装着して日本の大都市を攻撃し、大量の死傷者を出す物理的能力を有していると見られている。アメリカの調査機関ISISの報告書によれば、ノドンに装着可能な粗悪な核弾頭を3発以下既に保有している、つまり、日本の(東京)を核攻撃できる能力を保有している可能性すらあると観測されている。なお、核弾頭を量産して日本を狙うノドン200基を数年で全て核弾頭付きにするのに必要な50MW/200MW大型(黒鉛炉)を建設中であった。ちなみに同大型黒鉛炉は「2007年合意において、アメリカと北朝鮮の妥協により無力化・解体対象から除外された」。
ミサイル発射実験]
北朝鮮は度々(ロケット)、若しくは(弾道ミサイル)の発射を行っており、2012年12月には(人工衛星)を初めて軌道に投入することに成功した。また、2022年10月4日に最長飛距離とされるミサイル(火星12型)を発射した。ただし、北朝鮮のロケット発射は国際社会に脅威を与える核開発と弾道ミサイルの開発と表裏一体であると見なされているため、国連安保理決議1718、(決議1874)、(決議2087)で制裁対象となっている。
国際関係]
調査対象国 | 肯定 | 否定 | どちらでもない | 肯定-否定 |
---|---|---|---|---|
アメリカ合衆国 | 5% | 88% | 7 | −83 |
(イギリス) | 7% | 89% | 4 | −82 |
(オーストラリア) | 6% | 87% | 7 | −81 |
(フランス) | 9% | 85% | 6 | −76 |
(カナダ) | 10% | 81% | 9 | −71 |
(スペイン) | 5% | 75% | 20 | −70 |
(ギリシャ) | 6% | 64% | 30 | −58 |
中華人民共和国 | 19% | 76% | 5 | −57 |
(ドイツ) | 1% | 56% | 43 | −55 |
(ブラジル) | 23% | 60% | 17 | −37 |
(メキシコ) | 24% | 54% | 22 | −30 |
(ペルー) | 22% | 51% | 27 | −29 |
(インドネシア) | 17% | 46% | 37 | −29 |
(インド) | 19% | 40% | 41 | −21 |
(トルコ) | 34% | 44% | 22 | −10 |
ロシア | 20% | 30% | 50 | −10 |
(ナイジェリア) | 33% | 42% | 25 | −9 |
(ケニア) | 27% | 36% | 37 | −9 |
(パキスタン) | 20% | 25% | 55 | −5 |
調査対象国 | 肯定 | 否定 | どちらでもない | 肯定-否定 |
---|---|---|---|---|
日本 | 1% | 91% | 8 | -90 |
韓国 | 3% | 91% | 6 | -88 |
アメリカ合衆国 | 4% | 90% | 6 | -86 |
(ドイツ) | 3% | 85% | 12 | -82 |
(オーストラリア) | 8% | 86% | 6 | -78 |
(カナダ) | 6% | 83% | 11 | -77 |
(イギリス) | 9% | 83% | 8 | -74 |
イスラエル | 1% | 70% | 29 | -69 |
(フランス) | 10% | 79% | 11 | -69 |
(スペイン) | 7% | 73% | 20 | -66 |
(メキシコ) | 13% | 47% | 40 | -34 |
(ブラジル) | 20% | 54% | 26 | -34 |
(ペルー) | 22% | 49% | 29 | -27 |
中華人民共和国 | 20% | 46% | 34 | -26 |
(アルゼンチン) | 12% | 33% | 55 | -21 |
ロシア | 19% | 37% | 44 | -18 |
(インドネシア) | 28% | 44% | 26 | -16 |
(インド) | 23% | 27% | 50 | -4 |
(パキスタン) | 28% | 32% | 40 | -4 |
(ケニア) | 34% | 34% | 32 | 0 |
(ナイジェリア) | 42% | 38% | 20 | 4 |
(トルコ) | 32% | 19% | 49 | 13 |
(ガーナ) | 57% | 20% | 23 | 37 |
公的外交関係]
2022年4月時点で、北朝鮮と国交のある国は159か国である。東西冷戦時代には、「朝鮮唯一の(正当性)を有する国家」として(東側諸国)や(非同盟諸国)が北朝鮮を国家承認し、(西側諸国)が韓国を国家承認する傾向が強かった。だが1991年に両国が(国際連合)へ同時に加盟してからは、ほとんどの国家が双方を国家承認する(南北等距離外交)をとっており、2024年2月現在北朝鮮のみを国家承認しているのは、(シリア)のみとなっている。
北朝鮮を除く(国連加盟国)192か国の内、25か国((韓国)、日本、(アンドラ)、アメリカ合衆国、イスラエル、(ウルグアイ)、エクアドル、(エストニア)、(エルサルバドル)、(キリバス)、(サウジアラビア)、(ソロモン諸島)、(ツバル)、(トンガ)、(ハイチ)、(パナマ)、(パラオ)、(パラグアイ)、(ブータン)、(フランス)、(ボリビア)、(ホンジュラス)、(マーシャル諸島)、(ミクロネシア連邦)、及び(モナコ))は北朝鮮を一度も(国家承認)しておらず、3か国((アルゼンチン)、(イラク)、及び(チリ))は冷戦期に「朝鮮唯一の正当性を有する国家」として北朝鮮を一時承認したものの後に撤回している。また、6か国((コスタリカ)、(サモア独立国)、(ボツワナ)、(ポルトガル)、(ヨルダン)及びウクライナ)は(南北等距離外交)で北朝鮮を国家承認していたものの、諸事情により(外交関係)を断絶させている。その他、(国際連合総会オブザーバー)のうち(パレスチナ国)とは国交が、(欧州連合)(EU)とは外交関係がある他、のサハラ・アラブ民主共和国((西サハラ))とも国交がある。その一方で、(バチカン市国)とは国交が、EU以外の国連総会オブザーバー団体とは外交関係が無い。
現在までの経緯]
1948年9月9日の建国以来、国境を接する中華人民共和国およびソビエト連邦と密接な関係を維持し、1950年に勃発した朝鮮戦争の際には彭徳懐司令官率いる抗美援朝義勇軍がアメリカ軍のダグラス・マッカーサー元帥率いる国連軍の朝鮮半島北上に対抗して中華人民共和国から派遣され、(毛沢東)主席の長男(毛岸英)は朝鮮戦争にて戦死している。
1953年7月27日の(朝鮮戦争休戦協定)後、1956年にソ連の(フルシチョフ)第一書記が行ったスターリン批判の朝鮮労働党への波及により、朝鮮労働党内の抗争が発生し、金日成首相を領袖とする朝鮮労働党内の満州派が、それぞれ(ソ連共産党)との関係が深かった朝鮮労働党内のソ連派、中国共産党との関係が深かった延安派を粛清したことにより(8月宗派事件)、ソ連及び中国との関係は弱まり、(大韓航空機爆破事件)を機にソ連と中国は、北朝鮮が開催を妨害していた(ソウルオリンピック)への参加と韓国との国交正常化に動く。その後もソ連及びソ連の(継承国)であるロシア連邦、中国との間に一定の関係は存在する。
韓米両政府に対しては、一貫して敵視する(プロパガンダ)が行われ、特にアメリカおよび韓国との間では1968年の(プエブロ号事件)、1969年4月15日の(アメリカ海軍EC-121機撃墜事件)、1976年8月18日の(ポプラ事件)、2010年3月26日の(天安沈没事件)、2010年11月23日の(延坪島砲撃事件)など戦争寸前となるような軍事衝突事件もしばしば発生している。
(1991年)に、ソ連および(東ヨーロッパ)の社会主義政権が次々と崩壊し、北朝鮮は孤立化を深めた。北朝鮮は社会主義体制の継続を唱え、思想においても「(主体思想の前身)」を喧伝するようになった。1992年4月20日、「」という、通称(平壌宣言)[]が採択された。この宣言には金日成主席の80歳の誕生日に集まった世界70の政党代表(うち48人は(党首))が署名し、その中には旧ソビエト連邦や(東欧)で新たなを展開している諸政党が含まれた。1993年からは核開発疑惑が取りざたされるようになり、アメリカ・日本・ロシア・中国・韓国との(六者会合)が持たれ、2000年には(朝鮮半島エネルギー開発機構)が成立したこともあって緊張は緩和された。しかし北朝鮮はその後も核開発を進めており、2006年には(核実験を行ったと発表し)、核拡散防止条約体制からの離脱を宣言した。これを受けてアメリカと北朝鮮の関係は一挙に悪化し、2009年には六者会合も中断されている。(国連安保理決議第1695号)、(第825号)(1993年)、(第1540号)(2004年)、第1695号(2006年)、第1718号(2006年)、第1874号・(第1887号)(2009年)、第2087号・第2094号(2013年)などで北朝鮮の核およびミサイル開発は厳しく非難されており、核・ミサイル開発に関する部品や贅沢品の輸出を禁止するなどの経済制裁が実施されている。北朝鮮の核保有を歓迎する意向を示した国家は存在していないにもかかわらず、北朝鮮は核およびミサイルの開発を継続する意志を示し続けており、北朝鮮と諸外国の関係は改善されない状態が続いている。
一方で複数のテロ事件、不正取引などに関する国家ぐるみの関与が指摘されている。北朝鮮の関与が指摘されるテロ事件には日本人、韓国人、(レバノン)人((レバノン人女性拉致事件))などを始めとした複数国の国民の(拉致問題)、当局が否定するものでは大韓航空機爆破事件、(ビルマ)での(ラングーン事件)がある。
また厳しい経済状況のため、諸外国に対する(兵器)や(麻薬)の(密輸)、(スーパーノート)など(アメリカ合衆国ドル)の(偽札)製造で国家資金を調達しているという疑惑もある。(アメリカ合衆国財務省)金融犯罪捜査当局による2005年の推計では、北朝鮮は年間にして通貨偽造で5億ドル、麻薬取引で1億ドルから2億ドルを得ている可能性があるとしている。
2003年に、(オーストラリア海軍)が北朝鮮船舶を強制捜査した際、5000万ドル相当の(ヘロイン)が見つかっている。日本や韓国には複数の工作員が派遣されていると見られており、以前は国内でもAMラジオで聞ける「(平壌放送)」((中波)657kHz)にて暗号電文((乱数放送))を使い指令を送っているとされてきたが、2000年に終了。(モールス信号)や、(携帯電話)やコンピュータの(電子メール)を使って指令しているとの説もある。また(北朝鮮国内の人権状況)については国際連合や諸外国から厳しい目が向けられている。
冷戦期には、1976年から(非同盟)運動に参加し、(アジア)・(アフリカ)・(ラテンアメリカ)諸国のに、一定の支持を与えており、同じく(反米)国家であるキューバと良好な関係を築いている他、アフリカ諸国との関係では(セネガル)の首都(ダカール)の(アフリカ・ルネサンスの像)や(ナミビア)の、(ベナン)の像、ボツワナの(三首長の像)などの(記念碑的建造物)の建設を北朝鮮の(万寿台海外開発会社)が受注している。しかし、ラングーン事件で(ビルマ連邦社会主義共和国)やアフリカ諸国などの非同盟中立国と関係が冷却化した時期もあった(ソウルオリンピックにそれまでボイコットしていたアフリカ諸国が参加した原因となる)。
南北関係]
北朝鮮と韓国は、互いに自国を朝鮮半島における唯一の国家であると規定しており、1950年の朝鮮戦争勃発と1953年の休戦によって朝鮮半島の南北分断が決定的となった後は、「民族の悲願」とされる統一朝鮮国家の成立は見通しすら立っていない。また両国国家間の問題だけではなく、(韓国人拉致(拉北)問題)、南北の経済格差や人権問題などもあり、南北統一の実現には高いハードルが残されている。北朝鮮は「ソウルを火の海にする」発言などのように激しく韓国を非難する一方で、時に同一民族であることを強調した宥和姿勢を見せることもある。
朝鮮半島の南北分断後、1960年4月19日の四月革命 (韓国)によって韓国の李承晩大統領が追放された後、同年8月14日に金日成首相は韓国に対して「連邦制統一案」を提案、南北両政府代表による「最高民族委員会」の樹立を提唱した。他方で北朝鮮は韓国に対し「対南工作」を行い、韓国も北朝鮮に対し「(北派工作員)」の派遣などの諜報活動を繰り広げ、両国間の紛争は1968年の(青瓦台襲撃未遂事件)や1971年の(実尾島事件)として表面化した。1972年の(ニクソン大統領の中国訪問)によって(米中関係)が電撃的に改善すると、朝鮮半島の南北関係も緩和し、同1972年7月4日に北朝鮮の金日成首相と韓国の朴正煕大統領は(南北共同声明)を発表したが、同年10月の韓国の(十月維新)による朴正煕大統領の権力強化後、翌1973年8月の(金大中事件)を契機に北側からの南北対話の意志は途絶えた。
北朝鮮は1948年憲法により、首都を韓国が実効支配するソウルと定めていたが、1972年の憲法改正によって、初めて首都を法的にもそれまで首都機能の存在した平壌に定めた。これは近い内の南北統一を断念したものと多くの人から受け止められた。1979年10月26日の朴正煕大統領暗殺後、1980年に韓国で5・17非常戒厳令拡大措置が発令され、陸軍軍人の全斗煥が大統領に就任すると、同1980年10月10日に金日成主席は高麗民主連邦共和国創設と、統一より低い段階での(連邦)制を再び提示した。
東西冷戦終結直後は南北関係の雪解けが進み、1991年には北朝鮮の金日成主席と韓国の(盧泰愚)大統領との間で、南北国連同時加盟や(南北基本合意書)として結実した。
しかし盧泰愚大統領の退任後、1993年2月25日に発足した韓国の(金泳三)政権は国内(保守派)からの突き上げを受けた対北強硬に転じたこともあり、両国関係は再び悪化した。金泳三政権期の1996年には(江陵浸透事件)が発生している。
韓国は(1998年)(2月25日)の金大中政権発足のころから(クリントン)政権期のアメリカに歩調を合わせて(あるいは歩調を合わせざるを得ずに)融和的な政策に転換した。金大中政権は国内から融和的態度を批判されて敵対的言動へとシフトした金泳三時代の反省から、対北朝鮮融和政策を「太陽政策」と呼んで説明し、(2000年)(6月)に金大中大統領と金正日国防委員長の両者で初の南北首脳会談が実現し、6.15南北共同宣言が採択された。金大中政権期には南北共同で(開城工業地区)が創設されている。
金大中政権に続き2003年2月25日に発足した(盧武鉉)政権下でも「太陽政策」は継続された。しかし北朝鮮による2006年の核実験以降、韓国国内でも北朝鮮への批判が高まり、経済支援は停止された。韓国国民の世論は血縁や兄弟が北朝鮮に住む者も多いことから((離散家族))北朝鮮に同情的だが、核実験後は太陽政策への批判が一時強まった。なお、2006年の核実験後も2007年10月には二度目の南北首脳会談が行われている。
(2008年)(2月25日)に発足した(李明博)政権は太陽政策を改める政策を推進し、軍幹部の失言も相次いだ。こうしたことから北朝鮮の戦闘機が(軍事境界線)付近に飛来、韓国側もスクランブル発進するなどして、一触即発の状態が続いた。更に、2009年1月17日には、北朝鮮が韓国との「全面対決」を宣言するなど、李明博政権発足以降の南北関係は緊張が高まり、2010年には天安沈没事件、延坪島砲撃事件が発生している。
(2013年)(2月25日)に発足した(朴槿恵)政権も北朝鮮に対しては緊張した姿勢を引き継ぐ一方で、2014年には韓国から北朝鮮政府に対して30億ウォン(約3億円)規模の人道支援実施などで一定の関係を持ったが、2016年には開城工業地区が操業停止されるなど再び緊張状態に戻った。また、北朝鮮と韓国は、対中関係で大きく変化してきており、2014年2月の北朝鮮による核実験の強行によって、建国以来、血盟関係にあった中朝関係は急速に悪化する一方、(習近平)が北朝鮮首脳との面会に先だって訪韓するなど中韓両国は急速に接近し、北朝鮮政府は中国に派遣する自国の貿易商に中韓関係の情報収集を命じているとされ北朝鮮は警戒を強めているとされている。
(2017年)(5月10日)に発足した(文在寅)政権は太陽政策時代のような南北融和政策を取っており、それに関連し、(朝鮮中央テレビ)では、「祖国統一」「民族統一」「平和統一」「和解」などの言葉の入った映像を公開した。
2023年(7月10日)、(11日)に(金与正)朝鮮労働党副部長は韓国を「大韓民国」と呼称した。韓国統一省によると、北朝鮮が公式の談話で「大韓民国」と呼んだのはこのときが初めて。同(20日)には強純男国防相が米戦略原子力潜水艦の釜山寄港を非難する談話で「米国と『大韓民国』のやくざの軍事的狂態が危険水位を越えた」などと5回にわたり「大韓民国」と呼んだ。韓国の専門家からは「同じ民族の統一対象」ではなく「別の国」とする認識が反映されたとの分析が出ている。
(2024年)(1月4日)までに北朝鮮の対韓国宣伝サイト「わが民族同士」はホームページのトップ画面から過去の南北首脳会談など南北の統一政策の内容をまとめた特設コーナーを削除した。これについて、(産経新聞)は韓国を平和統一の対象ではなく「敵対国」として扱う政策転換の一環と分析した。
中華人民共和国との関係]
1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国後、翌1949年10月1日に建国された中華人民共和国とは特に密接な関係が築かれてきた。1949年6月30日に北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合併して朝鮮労働党が結成された際、金日成・(崔庸健)・(金策)ら中国共産党及び(東北抗日聯軍)に所属して中国東北部で抗日闘争を戦っていた朝鮮人共産主義者は満州派、(朴一禹)・(方虎山)・(武亭)ら朝鮮独立同盟及び(朝鮮義勇軍)に所属して中国共産党の本拠地(延安)で抗日闘争を戦っていた朝鮮人共産主義者は延安派として党内で分かれ、当初はどちらも中国大陸で活動していた共通性から朝鮮半島で専ら活動してきた「国内派」への対抗で連携していた。
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発後は、ダグラス・マッカーサー元帥率いる国連軍の朝鮮半島北上に対してソ連軍の半島再派遣に否定的な(ヨシフ・スターリン)は中国の毛沢東を後押しし、(彭徳懐)司令官率いる(中国人民志願軍)(義勇軍が名目で中国人民解放軍ではない)が派遣され、彭徳懐司令官と延安派の朴一禹副司令官に率いられた中朝連合軍は一時中朝国境の鴨緑江にまで進軍した国連軍を38度線まで押し戻し、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定締結に至り、1958年10月26日に中国人民志願軍は朝鮮半島から撤退した。
1953年の朝鮮戦争休戦後、金日成首相率いる朝鮮労働党内の満州派は自派の党内基盤を固める過程で、8月宗派事件で党内の延安派を粛清したことにより一時的に中朝関係は悪化したが、1959年に中国政府内の朴一禹支持者であった彭徳懐が失脚して(林彪)が国防部長に就任したこともあって、1961年7月11日に軍事同盟である(中朝友好協力相互援助条約)が締結された。その後、金日成首相は1962年の(キューバ危機)に際して、ソ連のフルシチョフ第一書記のキューバからのミサイル撤回を非難する中国の論調に同調し、中ソ対立で中国側に立つ姿勢を示したものの、ソ連のフルシチョフ第一書記失脚後に(コスイギン)外相の訪朝によってソ連との関係が改善し、更に1966年から始まった中国の(プロレタリア文化大革命)によって(紅衛兵)ら中国の文革派が金日成首相を「(修正主義者)」だと批判したことを受けて中朝関係は悪化、この北朝鮮と中ソ両国との関係悪化時であった1967年に金日成首相は独自路線を歩むために「唯一思想体系」の確立を提唱した。
その後中国と北朝鮮の関係は1969年10月の(崔庸健)最高人民会議常任委員長の訪中と、1970年の(周恩来)総理の訪朝によって改善したものの、その後の(ニクソン大統領の中国訪問)によって朝鮮戦争の当事国だった米中が電撃的に接近したことを受けて、1972年7月4日に北朝鮮の金日成首相と韓国の朴正煕大統領は南北共同声明を発表し、また、このころから中ソどちらにも属さない北朝鮮独自の社会主義路線を歩むために「主体思想」が整備され、1972年12月27日に制定された朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法第四条では朝鮮労働党の主体思想が国家の活動指針だと規定された。
(大韓航空機爆破事件)から中国はソ連とともに北朝鮮と距離を置き始め、東西冷戦終結後には中ソ両国はソウルオリンピックに参加して後に韓国と国交を結んだことにより((中韓国交正常化))、北朝鮮の金日成主席はこの中ソの「裏切り行為」に対し、アメリカのビル・クリントン政権との対米交渉に外交目標を一本化し、1993年の北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)脱退を経た後、1994年10月21日の米朝枠組み合意に至っている。
1994年7月8日の金日成主席の死後も、中国政府は中朝友好協力相互援助条約を維持して北朝鮮にとって唯一の軍事同盟国となり、金日成主席死後に政権を掌握した金正日国防委員長の訪問回数もロシアに比べれば多く、初外遊先も中国だった。また中国は北朝鮮の独裁体制を配慮し、例えば中国では北朝鮮批判の本を(発禁)にしており(詳細は)、を不法入国者と見なし、強制送還に積極的である。2010年には(BRICs)として目覚しい発展を遂げる中国が北朝鮮に対し、北朝鮮の国家予算7割分を投資する事が決定した。金正恩体制に移行する直前の金正日体制での労働党創建65周年に行われた(軍事パレード)でも中国共産党の(周永康)政治局常務委員が金正日・金正恩親子と肩を並べて観閲するなど(江沢民)・(胡錦濤)体制の中国とは概ね中朝関係は安定していた。中国の主催する(6か国協議)に参加しつつ、国連安保理の対北制裁決議に(拒否権)を行使するどころか賛成してきた伝統的な友好国の中国とロシアへの不満も他国に漏らしていた。
中国が(習近平)体制、北朝鮮が金正恩体制となってからも2013年2月に3回目の核実験を強行するも同年7月27日の平壌での朝鮮戦争休戦60周年記念行事では中国国家副主席の(李源潮)は金正恩第一書記の隣でパレードや中央報告大会を観閲するなど友好関係は続いたが、同年12月の張成沢の粛清は中朝関係に変化を生じさせ、2014年7月に中国の習近平国家主席は最初の訪問先として北朝鮮ではなく韓国を訪問したほか(1992年の中韓国交正常化以来初)、「(新鴨緑江大橋)」も運用されない状態となっている。
また、金正日政権時には北朝鮮の党機関紙・労働新聞は(中国最高指導者)の言葉を真っ先に紹介していたが、2014年9月の政権樹立66周年の記事では掲載日は別ではあるものの、プーチン露大統領の祝電は1面に掲載された一方、中国共産党の習近平総書記の祝電は3面に掲載され金正恩第一書記がシリアのアサド大統領に送った誕生日の祝電よりも後まわしとなった。中国側も各国からの祝電の際には金正恩からの祝電を最後に報じるといったことも行っている。
2015年2月、北朝鮮は(アジアインフラ投資銀行)(AIIB)に創立メンバーとして参加しようと特使を派遣したが中国側の拒否によって失敗に終わった。一方、韓国は同年3月にアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加することを決定し、韓国の企画財政省高官はAIIBを通じた北朝鮮でのインフラ開発に期待感を示した。
2015年9月の中国の(中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典)では、韓国は大統領の朴槿恵が参加し中国最高指導者である習近平と肩を並べて参観したのに対し、北朝鮮の派遣した朝鮮労働党書記である崔竜海の席は端に近い位置であった。韓国の聯合ニュースはその写真と1954年に金日成と毛沢東が同じ場所で軍事パレードを参観した写真を並べ、「主人公の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と報じた。その一方で同年10月の朝鮮労働党創建70年記念パレードでは金正恩と中国序列5位の(劉雲山)が肩を並べて歓談してパレードの終盤では聴衆に向かって手を取り合うなど親密さをアピールし、金正恩は中朝関係を「血潮で以て結ばれた友好」「金日成主席同志と金正日総書記同志が残した最大の外交遺産」と呼び、北朝鮮側はミサイル発射を中止した。翌2016年1月に北朝鮮は「水爆実験」とする核実験を実施して(牡丹峰楽団)の公演も中止されて中朝関係は再び冷え込み、直後に制作された朝鮮中央テレビの記録映画では2015年の労働党創建70周年の記念行事の模様が含まれていたものの劉の映像は加工され削除されていた。同年5月には習近平が自らの(一帯一路)構想のために開催した中国のに招かれた北朝鮮は(金英才)(キム・ヨンジェ)対外経済相らを派遣したものの、開幕直後にミサイルを発射したことは「祝砲」とも伝えられる一方で中国を苛立たせたとも報じられている。
国連の対北経済制裁に中国はロシアとともに賛成を投じ続けており、北朝鮮は中露を「米国に追従した」と批判している。2017年に中国は北朝鮮企業との合弁や北朝鮮人の新規雇用と銀行口座などを禁止し、これにより貴重な外貨獲得源だった世界に約130店ある北朝鮮の食堂事業のうち世界最大の(北朝鮮レストラン)など中国にある100店が閉鎖されることになり、北朝鮮は中露に派遣している労働者に帰国を命じている。また、北朝鮮の科学者は論文発表の9割近くが共同研究であり、そのうち共同研究相手は80.9%も中国人科学者が占めることから中国は科学技術の流出を懸念して北朝鮮からの留学生の受け入れを中止して国内の北朝鮮留学生を監視して大学の研究室などへの出入りも禁止したとされる。対外的に北朝鮮の体制を擁護しているのは、韓国を基本とした統一がなされた場合、中国と陸続きの位置に(米軍)が進出する可能性を懸念しているためともされる。そのため、中国は北朝鮮や韓国の頭越しで朝鮮半島有事を想定した核の確保や38度線を越えた米軍の撤退などの具体的対応を米国と協議していることが2017年12月に米国政府から公表されている。また、北朝鮮からの難民対策も米国と協議しており、中朝国境には難民収容所の建設が進み、放射線対策や国境統制の強化もされていた。
しかし、金正恩体制となってからも北朝鮮は経済的には貿易の9割超も中国に依存するなど一定の関係を継続しており、(2018年)3月には金正恩は最高指導者就任後初の外遊として訪中して習近平と最高指導者就任後初の外国との首脳会談を行って「初外遊先に北京を選んだのは当然だ。中国との関係を重視する私の厳粛な義務だ」と述べ、習近平は金正恩から「最も立派な友人で最も親しい同志」「偉大な領袖」「偉大な指導者」とまで呼ばれ、同年6月の(米朝首脳会談)の際は(李克強)首相も移動用に(政府専用機)を金正恩に貸し、習近平の誕生日の際は金正恩は中朝の血盟を強調する祝賀をおくり、金正恩は度々訪中している。
なお、政府間だけでなく、民間でも度重なる核実験や朝鮮人民軍の脱北兵士による越境犯罪で中朝国境で北朝鮮に対する住民感情や中国世論は厳しくなっており、中国各地では反北朝鮮デモも起きている。中朝間には(北朝鮮による中国人拉致問題)も存在する。また、2010年代に入ってから、北朝鮮より(中国東北部)に(覚醒剤)が流出していることが問題となり、中国政府は「強風作戦」と呼ばれる大々的な取り締まりを行った。その他にも2010年には違法に操業する中国漁船と(北朝鮮海軍)との武力衝突事件が、2012年5月には北朝鮮の武装船が北朝鮮西海上で中国漁船を拉致し、漁民28人に暴行を加え、身代金として120万中国(人民元)を要求する事件が発生している。北朝鮮当局は黄海と日本海の(漁業権)を中国に売却して北朝鮮近海では1000隻を超える中国漁船が操業しており、中国の乱獲で沖合に出た北朝鮮漁船が日本に漂着する原因にもなっている。
アメリカとの関係]
1950年の朝鮮戦争勃発後、アメリカ軍主導の国連軍とは激戦を経た後、1953年7月27日に朝鮮人民軍の(南日)大将とアメリカ陸軍の中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名された。しかしながら、アメリカとはその後2017年現在も対立関係にある。北朝鮮のメディアではアメリカを敵国扱いする言動が繰り返されている。
東西冷戦中には1968年には(アメリカ海軍)の(プエブロ号)が北朝鮮によって拿捕されるプエブロ号事件が、翌1969年には(朝鮮人民軍空軍)によってアメリカ海軍の(早期警戒機)が撃墜されるアメリカ海軍EC-121機撃墜事件が、1976年8月18日にはアメリカ陸軍将校2名が朝鮮人民軍によって殺害されるポプラ事件が発生しているが、何れもアメリカからの報復は行われなかった。
東西冷戦終結後の1992年1月26日にカンター国務次官と(金容淳)朝鮮労働党書記の間で、初の米朝高官級会談が行われ、同1月30日に北朝鮮は1980年代から問題となっていた核開発問題について(国際原子力機関)(IAEA)と保障措置協定を結んだが、北朝鮮はこのIAEAの査察に反発して1993年3月に核拡散防止条約(NPT)からの脱退を宣言し、その後両国間の戦争直前にまで至った米朝交渉を経て北朝鮮のNPT脱退宣言は無効化され、1994年6月15日にアメリカの(ジミー・カーター)元大統領が訪朝、金日成主席がIAEAの査察受け入れに合意したことによって両国の緊張した関係は一時収束した。
この第一次核危機後、1994年10月21日に金正日国防委員長とビル・クリントン大統領との間で米朝枠組み合意が締結され、以後の国交正常化が目指されたが、(ジョージ・W・ブッシュ)政権期の2002年1月に北朝鮮はイラク、(イラン)と共に「(悪の枢軸)」と名指しされ、北朝鮮側もその後積極的な核開発と2003年1月の核拡散防止条約(NPT)からの脱退で米国からの敵視政策に応じ、(イラク戦争)開戦後で中国が仲介に乗り出した2003年8月以降、この北朝鮮核問題を中心に、中華人民共和国、ロシア、米国、日本、韓国と共に六者会合(六ヶ国協議)が実施され、第5回会合で核施設の無力化で合意したことからジョージ・W・ブッシュ政権末期の(クリストファー・ヒル)国務次官補により事態の推移が見られ、2008年10月11日にアメリカから「(テロ支援国家)」指定を解除された。しかし(バラク・オバマ)政権に交代後は六者協議を北朝鮮は脱退し、交渉の進展は見られない。
(スイス)留学中に(バスケットボール)で(帝王学)を学んだといわれる金正恩第一書記体制の成立後、2013年2月28日に元(NBA)の(デニス・ロッドマン)が訪朝した。
(2015年)、アメリカ合衆国は、2011年3月1日以降に北朝鮮へ渡航した者について、ビザ免除プログラムの対象国の国籍を持っていても、対象から除外する事を決定した。ただし、軍関係者や正規政府職員など、公務で止むを得ない場合は特例も認められるとしている。なお、自身のパスポートに北朝鮮への渡航記録が記載されていなかったとしても、ESTAを使用して渡航した場合は入国拒否される可能性が高く、入国拒否後は一生ESTAを使用できなくなる事になる。
度重なる核実験や弾道ミサイルの発射に対して(2017年北朝鮮危機)が起き、(ドナルド・トランプ)政権発足後の2017年9月、トランプ大統領が国連の一般討論演説にて日本人拉致問題に触れた上で金正恩を「ロケットマン」と名指しし、「米国と同盟国の防衛が脅かされた場合は北朝鮮を完全に壊滅せざるを得ない」と発言している。これに対して最高指導者名義では北朝鮮史上初の声明を金正恩は発表し、トランプを名指しで「世界の面前で私と国家の存在自体を否定して侮辱し、我が共和国を滅ぼすという歴代で最も凶暴な宣戦布告をしてきた」「国家と人民の尊厳と名誉、そして私自身の全てを懸け、我が共和国の絶滅を喚いた米国執権者の暴言に代価を支払わせる」と猛反発した。2018年からは緊張緩和の方向となり、6月に史上初の(米朝首脳会談)が行われ、(2019年2月にも米朝首脳会談が行われた)が、大統領がジョー・バイデンに変わってからは緊張状態に逆戻りした。
ソ連・ロシアとの関係]
ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)政府は北朝鮮と1961年7月6日に「(ソ朝友好協力相互援助条約)」を締結して(軍事同盟)を結んでいたが、8月宗派事件のソ連派粛清や、北朝鮮が反対した(ソウルオリンピック)にソ連は参加して韓国と国交正常化するなど関係が冷え込んだこともあり、1991年のソ連崩壊と冷戦終結の国際情勢の変化もあって、1990年代初頭には両国関係は(KGB)による(北朝鮮クーデター陰謀事件)でほぼ停滞し、経済支援も途絶えただけでなく、ロシアは北朝鮮より韓国を重視するようになった。1996年に相互援助条約は期限切れを迎え、「露朝友好協力条約」の締結交渉に入ったことで両国関係は次第に改善されていった。2000年に新たにロシアと「(ロ朝友好善隣協力条約)」を締結した。同条約では軍事同盟の条項は削除されたが親密な友好関係は維持されている。(ウラジーミル・プーチン)大統領は「韓国とは安定、北朝鮮には譲歩」を唱え、南北等距離外交を推進している。ロシアは(6カ国協議)にも参加している。
2014年の北朝鮮の核実験で中朝関係が冷え込むなか、崔竜海・朝鮮労働党書記がロシアを訪問するなどロシアに急接近する姿勢が目立っているとされた。しかし、地対空ミサイル購入交渉などでロシアとの交渉窓口だった(玄永哲)の粛清や2015年モスクワ対独戦勝記念式典の金正恩の出席中止からロシアとの関係も再び冷え込んだとする見方もある。2013年にはロシア漁船への北朝鮮当局の銃撃事件、2015年や2016年には北朝鮮漁船と(ロシア国境軍)の武力衝突で死傷者も出し、北朝鮮当局のロシア船拿捕が起きている。国際連合安全保障理事会決議1718から国連の対北制裁決議にも賛成しており、新しい制裁決議が可決された2016年には金融取引全面停止、北朝鮮船入港拒否、燃油輸出中止、協力事業中止などの経済制裁も実施しており、北朝鮮から中国とともに「米国に追従した国」「反共和国制裁決議で共謀した国」と非難されている。2017年にプーチンは北朝鮮の個人やグループが関係する医療分野以外の科学技術協力禁止や銀行口座の規制など様々な制裁を命じた大統領令を発動しており、北朝鮮労働者の受け入れも中止し、これを受けて北朝鮮は中露に派遣している労働者に帰国を命じ、ロシアも滞在許可を1年に縮めて送還を始めている。一定の関係は維持して(万景峰号)を使った(羅先)との定期航路も開設されたが、ロシア当局からの入港拒否もたびたび起きている。2018年(5月31日)、金正恩は訪朝したロシアの(セルゲイ・ラブロフ)外相と最高指導者就任後初のロシア政府要人との会談を行い、段階的な非核化の必要性で一致した。この際、ロシア国営テレビでラブロフ外相と握手する無表情の金正恩が口角を上げたように映像を改竄されて注目された。
2022年ロシアのウクライナ侵攻が開始されると、ロシアが北朝鮮に対して弾薬などの提供を打診したとの報道がなされた。北朝鮮側は否定したが、2023年に入るとウクライナの前線では北朝鮮製の武器が一部で出回り始めた。2023年9月13日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と北朝鮮の金正恩総書記による首脳会談が行われ、ロシア側からは軍事協力の可能性、北朝鮮側からは人工衛星の開発支援などが提案された。翌月には、露朝国境の豆満江駅に過去に例をみない規模の貨物列車の到着が確認されたことから、武器輸出が行われたとの報道がなされた。
日本との関係]
(日本国政府)は、(1965年)に内閣総理大臣(佐藤栄作)が、韓国の(朴正煕)大統領との間で批准した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約((日韓基本条約))」により、韓国を「朝鮮半島唯一の国家」と表明しており、2023年現在、北朝鮮を国家として承認していない。従って、正式な外交関係はない。
日本政府は、北朝鮮の国際連合加盟に賛成票を投じるなど、(事実上)の政府として扱ったこともあるが、同様に非承認である中華民国((台湾))とは異なり、(日本台湾交流協会)や(台湾日本関係協会)のような、事実上の大使館に相当する利益代表部は設置されていない。
かつては(日本国旅券)に「This passport is valid for all countries and areas except North Korea (Democratic People's Republic of Korea).(このパスポートは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を除く全ての国家と地域で有効です)」という渡航先適用除外条項があった。そのため、北朝鮮に渡航する場合は、特別なパスポートを発行するように申請する必要があった。(外務省)の各国・地域情勢ウェブページでも「北朝鮮」と表記し、国ではなく地域扱いされている。(1991年)からこの条項は削除されたものの、依然として政治的・軍事的な対立から緊張した関係が続いている。
日本には多くの(特別永住者)許可を持つ(朝鮮籍)(北朝鮮国籍とは異なる)の人々が生活をしており、(在日本朝鮮人総聯合会)(朝鮮総連)は、これらの人々の団体であると同時に、北朝鮮政府と極めて深い関係にある。朝鮮総連は日本における北朝鮮の利益代表部として扱うよう再三要求しているが、日本政府はこれを認めていない。朝鮮総連が行う本国への送金は、北朝鮮が国外で外貨を得る窓口的な役割を担っていた。(朝銀信用組合)の破綻事件では、北朝鮮への違法送金の疑惑が取りざたされている。
2002年9月、(小泉純一郎)首相は電撃的に北朝鮮を訪問して、金正日国防委員長と初の日朝首脳会談を実現し、17日(日朝平壌宣言)に調印した。この訪問で、金正日は北朝鮮による日本人拉致を「一部の英雄主義者が暴走した」として公式に認め、5人の拉致被害者の帰国がなされた。しかし「8人死亡・1人行方不明」とする北朝鮮側の回答は日本政府は受け入れず、北朝鮮が認めた以外にも拉致被害者は存在していると主張している。(第1次安倍内閣)以降、日本政府は拉致問題において「拉致被害者を全員生存しているとして対応する」方針をとっている。
2005年ごろまで貿易関係は存在しており、日本への船舶の入港は年間千数百隻に上っていた。内訳は、日本からの輸入は輸送機器が中心で、日本への輸出は水産物が中心であった。また、同年の12月には